根来戦記の世界

戦国期の根来衆に関するブログ

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中世に至るまでの、日本における仏教とは~その⑭ 番外編 破戒僧・円載(下)

次に考えてみたいのは、前記事の4にあげた「円珍に対して中傷を行ったり、行跡に乱れがあること」である。実はここに円珍と円載の仲が悪くなった、直接的かつ最大の原因があるのだ。 前記事で述べたように、2人の衝撃的な再会から半年後、円珍は円載と落ち…

中世に至るまでの、日本における仏教とは~その⑬ 番外編 破戒僧・円載(中)

円珍は円載との出会いを「在唐巡礼記」という書物に書き残している。この書は現存しないのだが、「在唐巡礼記」を要約した「行歴抄」という書物が後世になって編纂されたおかげで、2人の出会いはどんなものであったのかが分かるのだ。当該部分に手を加えて…

中世に至るまでの、日本における仏教とは~その⑫ 番外編 破戒僧・円載(上)

遣唐使に選ばれた多くの僧たちが大陸へと渡ったが、その正確な人数はデータが残っていないので分からない。遣唐使を構成するメンバー数は、前期は200~250名ほど、後期は5~600名ほどであったが、そのうち僧は何名ほどいたのであろうか? 遣唐使に…

中世に至るまでの、日本における仏教とは~その⑪ 空海の後継者たち 天竺を目指し、南海に消えた高丘親王

さて空海が開いた「東密」の方は、その後どうなっていったのであろうか。 教義という点では、真言宗は大きな問題を抱えているわけではなかった。天台宗のように4つの宗派を統合する必要もなく、密教という単一の分野をただひたすらに深堀りしていけばよかっ…

中世に至るまでの、日本における仏教とは~その⑩ 最澄の後継者たち その後の比叡山

最澄は822年に、空海は835年に遷化する。(なお空海は死んではおらず、生死の境を超えて永遠の瞑想に入っていることになっている。高野山奥之院にいる彼のもとに、1日2回食事と着替えが届けられる、という儀式が今も行われている。)この二大巨頭の…

中世に至るまでの、日本における仏教とは~その⑨ 「南都六宗」に、果敢に戦いを挑んだ最澄

徳一の著した「仏性抄」は法相宗の立場、つまり前記事で紹介した「三乗説」を唱える立場で書かれた書物である。この書は現存していないので、その正確な内容は分からないのだが、どうもこの中で徳一は「一乗の教えを説く『法華経』を、文字通りに受け取って…

中世に至るまでの、日本における仏教とは~その⑧ 最澄vs徳一「三一権実争論」

奈良から平安期にかけて栄えた南都六宗であるが、その中で最も権勢があったのは法相宗である。この法相宗の教えはユニークなものなので、その教義を少し紹介してみよう。 まず日本仏教を語るには、中国仏教なしには語れない。日本の仏教は、おしなべて中国経…

中世に至るまでの、日本における仏教とは~その⑦ 密教・禅・戒律をミックスさせた、最澄の「シン・天台宗」

密教を日本に持ち込み、更にその教義を発展させた空海。新興勢力であったにも関わらず、官寺である東寺まで賜り、これを密教の専修道場とするなど、日本において確固たる地位を築き上げたのであった。一方、日本仏教界のもう一方の新星であった、最澄はどう…

中世に至るまでの、日本における仏教とは~その⑥ 他宗をもその内に取り込んだ、空海の先進性

空海により日本にもたらされた密教の教え。空海はそれに独自の解釈を加え、更に発展させる。彼が打ち立てた真言の理論は、天才が収集・編纂した故に、それ以上の解釈や発展がなかなか進まなかった、と言われているほどである。彼の先進性を示す一端として、…

中世に至るまでの、日本における仏教とは~その⑤ 目指すところは「スーパーマン」 密教の教えとは

密教はインドにおいて発生した、仏教の一派である。初期の密教は呪術的な要素が多く入っており、極めて土俗的な性格が強いものであった。こうした初期密教を「雑密」と呼ぶ。例えば、初期に成立した「孔雀王呪経」は毒蛇除けの護身呪であり、おまじないに近…

中世に至るまでの、日本における仏教とは~その④ 最澄と空海・平安期が生んだ2人の天才

奈良期は日本の歴史上、仏教が最も権力と結びついた時代である。それがピークに達したのが、769年に発生した政治僧・道鏡による皇位簒奪の動きである。この企て自体は失敗したが、こうした動きに象徴されるような寺社勢力の強大化、そして僧侶の退廃ぶり…

中世に至るまでの、日本における仏教とは~その③ 神仏習合と、奈良期の「南都六宗」について

そんなわけで、この時期本格的に国政に仏教が入ってきたのであるが、今まであった日本古来の神道はどうなったのか。他国においてはこういう場合、今まで信ぜられていた宗教は破棄、ないしは上書きされてしまう場合が多いのだが、日本においてはそうならなか…

中世に至るまでの、日本における仏教とは~その② 「総合文化芸術」仏教に魅せられた古代の人々

日本にやってきた、仏教という新しい教え。しかし日本古来よりある神道を奉じる、物部氏をはじめとした豪族たちの強い反発にあい、敏達天皇は否応なく仏教の排撃を余儀なくされる。これに対し、仏教導入派である蘇我氏が反撃、物部氏らを滅ぼすことに成功す…

中世に至るまでの、日本における仏教とは~その① 古代日本にやってきた舶来宗教

そもそもこのブログは、ブログ主の著作(といっても、現時点で2作しか出していないが)を紹介、というか宣伝するためのブログであった。1巻の舞台は1555年の京であるが、2巻で主人公はとある理由で紀州・根来寺に行き、そこで行人方子院「大楽院」の…

旅行記~その⑦ 長篠の戦い 丸山砦と馬場信春

この戦いにおける武田方の戦死者は、1万とも数千とも言われていますが、甚大な被害を被ったことは間違いありません。これまで武田家を支えていた多くの重臣たち――馬場信春、山形昌県、内藤昌秀、原昌胤、真田信綱・昌輝兄弟らが軒並み戦死してしまいました…

旅行記~その⑥ 長篠の戦い 設楽原古戦場へ(下) 

21日の日の出と共に、勝頼は攻撃命令を下します。武田方の主力は左翼にいた山県昌景・原昌胤・内藤昌秀・小山田信茂らが率いる精鋭部隊でした。徳川方は右翼に位置していたので、もろにその猛攻を受けます。 武田氏の戦闘スキルは、戦国最強といってもいい…

旅行記~その⑤ 長篠の戦い 設楽原古戦場へ(上)

陥落寸前の城を救うため、織田・徳川連合軍3万8000が長篠に急行します。5月18日には設楽郷に到着、信長は極楽寺山裏に本陣を構えました。家康が布陣したのはやや前方にある高松山(弾正山とも)です。翌19日から、有名な馬防柵の建設が始まってい…

旅行記~その④ 長篠の戦い 長篠城と鳥居強右衛門

1575年4月から本格的にはじまった、今回の勝頼の遠征の目的は「クーデターに乗じて岡崎城を占領する」というものでした。もし成功していたら、徳川家を滅ぼせたかもしれないレベルの大戦果でしたが、それが失敗した今、勝頼としては手ぶらで帰るわけに…

旅行記~その③ 長篠の戦い 「設楽原歴史資料館」を見学

半年ほど前のことになりますが、息子と2人、長篠城と設楽原古戦場に行ってまいりました。今更ですが、その時の内容を紹介したいと思います。 その前に、「長篠の戦い」についての基礎知識を。武田氏に関しては近年、平山優氏をはじめ、黒田基樹氏、丸山和洋…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑮ 近世の鳥羽車借 その栄光と終わり

室町期の往来物に「大津坂本馬借・鳥羽白河車借」と謡われた、中世の運送業者たち。江戸期に入って坂本馬借は衰退し、大津馬借は繁栄する。白河車借は既にない。最後のひとつ、鳥羽車借はどうなったのだろうか? 鳥羽車借の全盛期は、織豊期から江戸初期にか…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑭ 江戸期にたてられた「日本海~琵琶湖運河」開削計画

前回に引き続き、記事の内容がなんだか「馬借・車借」というメインテーマからは、若干外れた内容になってしまっているような気がするが、ご容赦を・・・ さて河村瑞賢による「西廻り航路」開拓により、これまでより遥かに効率的かつ大々的に、米を運べること…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑬ 河村瑞賢の「西廻り航路」により、激変した米の流通ルート

江戸初期の豪商に、河村瑞賢という人がいる――彼は凄い男なのである。南伊勢の、さほど豊かではない農家の長男に生まれるが、13歳で江戸に出ている(跡継ぎのはずなのだが、江戸に出てきた理由ははっきりしていない)。江戸では、まずは車力になったそうで…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑫ 全盛期を迎える大津馬借、小遣い稼ぎをする坂本馬借

前記事で述べたような理由で、大津馬借はそれなりの規模を持つ馬借集団として、江戸期も存続し続ける。彼らは京津街道の物流の担い手となるのだ。なおこのルートの物流の担い手として、他にも伏見の車借らがあげられる。1704年には京津街道を行き交う荷…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑪ 牙を抜かれた馬借たち 発展する大津、廃れる坂本 

戦国が終わり、世の中は織豊政権による中央集権体制となる。天下が完全に鎮まるまでは、「関ヶ原」や「大阪の陣」など、まだ幾つかの大戦を経なければならなかったが、少なくともこれまで各地で多発していたような、小勢力同士の泥沼の小競り合いはなくなっ…

中世の運送業者・馬借と車借~~その⑩ 鳥羽車借の京への運搬ルート

京へ続く三大街道は、京津街道・竹田街道、そして鳥羽街道である。この三街道は、戦国期には日本最大の人口を抱える大都市・京へと続く、物流の大動脈であった。うち鳥羽街道は、巨椋池に荷揚げされる米などの運搬によく使用されていたのは、先の記事で見た…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑨ 車借の二大拠点・鳥羽と白河(下) 京の物流を支え続けた鳥羽車借

早くに衰退してしまった白河車借に比して、鳥羽車借はなんと明治まで続いている。両者の違いは何であったのだろうか? 六勝寺と同じように、廃れてしまったのは鳥羽離宮も同じなのだが、鳥羽には大きな利点がひとつあった。灌漑によって埋められてしまって、…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑧ 車借の二大拠点・鳥羽と白河(上) 白河車借の興隆と衰退

車借の二大拠点といえば、鳥羽と白河である。細かく見ていけば、小規模な車借拠点は各地にあるのだが、ここまで大規模なのはこの2か所だけだ。鳥羽と白河において、なぜここまで車借が発展したのだろうか? そもそも効率的には、馬の背に乗せて物を運ぶより…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑦ 牛車で米を運送した車借たち

小荷駄で荷を運ぶ「馬借」に対して、牛に車を曳かせて運搬する業者のことを「車借」と呼んだ。有名なのが「白河車借」、そして拙著にも出てくる「鳥羽車借」である。 坂本の馬借の起源が「馬の衆」といわれる、日吉社の神人たちだったとすると、車借の起源は…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑥ 土一揆に参加して暴れはするが、それはそれとして強訴の動員にも応じる馬借たち

さて前記事で見たように、1428年9月18日の馬借蜂起を契機とし「正長の土一揆」が発生したわけだが、実はその1か月前の8月に近江国において、徳政(借銭棒引き)が行われていたことが複数の記録に残っている。 近江国におけるこのケースだが、そもそ…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑤ 「敵は北野社にあり」 土一揆のきっかけは、馬借たちによる「麹騒動」

さて1428年に、日本史上初の大規模な土一揆・「正長の土一揆」が発生する。清水克行氏はその著作「室町社会の騒擾と秩序」において、そもそもこの土一揆が発生したきっかけは、叡山と北野社の勢力争いがあったのではないか、と推測している。 「天神さん…