2025-04-01から1ヶ月間の記事一覧
1474年、蓮如は吉崎御坊を去り、二度と北陸には足を向けなかった。前シリーズでは蓮如の動向をメインに紹介していたため、その後の北陸がどうなったかを紹介していなかった。 そこでこのシリーズでは、北陸の門徒たちがその後どうなったか、そして最終的…
1481年に仏光寺派の帰依を受けた本願寺だが、宗派ごと丸々本願寺に合流してきたケースはこれだけではない。 翌82年には、真宗三門徒派を構成する本寺のひとつ、越前国・横越証誠寺が本願寺に下っている。また93年には真宗木部派の本寺、近江国・木部…
1480年に完成した山科本願寺の御影堂は、巨大かつ意匠を凝らしたものであった。使用された柱50本は大和から、天井は大津で拵えたものを運び込み、四方の縁などには深草産の杉が使用された、とある。大工・番匠たちもまた、諸国の門徒たちが大量に動員…
吉崎を去った蓮如は、二度と北陸に戻ることはなかった。とはいえ、北陸の門徒らのことを見捨てたわけではないし、門徒たちも分離独立するような動きは見せなかった。 吉崎を去ったにも関わらず、蓮如は巧妙なやり方で加賀における影響力を増大させることに成…
過去の記事で紹介したように、1466年に史上初の一向一揆、本願寺門徒vs叡山僧兵の戦いが金森にて行われている。この「金森一揆」の際には、一揆勢は戦いに勝利したにも関わらず、非戦派の蓮如の言いつけに従う形で、おとなしく金森を叡山に明け渡してい…