根来戦記の世界

戦国期の根来衆に関するブログ

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2025-07-01から1ヶ月間の記事一覧

本願寺の興亡・百姓の持ちたる国編~その⑰ 主戦派の暴走、そして粛清された下間兄弟

1534年3月、下間頼盛によって拉致されてしまった門主・証如。拉致された先、河内国・榎並において証如は頼盛に「細川晴元と結んだ和睦を破棄し、再び戦うよう」と説得されるのである。 そして証如は(状況的に仕方ないことであるが)、説き伏せられてし…

本願寺の興亡・百姓の持ちたる国編~その⑯ 法華一揆 vs 一向一揆 炎上する山科本願寺

1532年7月29日、京に突如出現した法華一揆。これに危機感を覚えていたのが、京から山ひとつだけ隔てただけの位置にある山科本願寺である。一向一揆の主力は堺攻めのため出撃していたので、本部である山科とは分断されてしまった形となる。 本願寺も座…

本願寺の興亡・百姓の持ちたる国編~その⑮ 暴走する一向一揆 コントロールに苦慮する本願寺

奈良、つまり大和国は興福寺の力が非常に強い国である。その影響力の強さ故、幕府が守護を置くことができなかったほどで、大和の武士たちも衆徒として興福寺に組み込まれていた。 戦国期に入ると流石に往年の力は落ちてきて、衆徒らの中から「大和四家」と言…

本願寺の興亡・百姓の持ちたる国編~その⑭ 「天文の錯乱」にて一揆勢の陣頭にたち、自ら指揮をとる門主・証如

激戦の末、加賀の三箇寺を下した超勝寺&本覚寺。彼らのバックにいるのは山科本願寺であるが、この時の門主・証如はまだ若年の16歳である。加賀三箇寺を滅ぼすまでの絵図は、彼の祖父・筆頭後見人である蓮淳が全て描いたものであった――その動機は多分に私…

本願寺の興亡・百姓の持ちたる国編~その⑬ 加賀三箇寺の滅亡 ルサンチマンを晴らした蓮淳

1531年8月22日、孝景率いる朝倉勢8300は越前から加賀・江沼郡に侵攻、現地で光教寺勢と合流し、北上を続ける。超勝寺・本覚寺勢はこれに抗し得ず、手取川のラインまで撤退せざるを得ない。大河を天然の掘に見立て、北岸で食い止めようとしたのだ…