日蓮と忍性、そして蒙古襲来
なお服部氏は、1回目の侵攻「文永の役」に関しても、独自の説を唱えている。まず元軍の数に関してであるが、池内説3万以上に対して、服部氏は1万6500人ほど(高麗史による)としている。そして池内説では「博多に上陸した10月20日に戦いが行われ…
この記事では、前回紹介した服部英夫氏による著作「蒙古襲来と神風~中世の対外戦争の真実」の内容に基づいて、弘安の役の戦いの推移について紹介していく。 まず服部氏は、東路軍の進撃タイミングと進撃路に対して、以下のような説を唱えている――「通説では…
甲斐国身延山に引きこもり、著作に励む日蓮。この間、彼は大量の手紙を弟子や信者たちに送っており、断片的なものも含めると現存するものは600点にも及ぶとも言われている(ただし偽物も多いようだ)。一次史料が大量に残っているということは、その人物…
元は日本に対して、都合6回の使者を送っている(うち2回は本土までたどりつけず)。当初はガン無視を決め込んでいた鎌倉幕府であったが、さすがにそういうわけにもいかなくなった。こちらからも使者を送るなどの動きも見せているし、祈祷以外にもちゃんと…
大国・元の脅しに対して、徹底して無視を決め込んだ鎌倉幕府。しかし幕府も、必ずしも無策でいたわけではない。この時点で幕府がとった対策は「そうだ!寺社に祈祷してもらおう」というものであった・・・これを読んで、思わず脱力してしまった人もいるかと…
日蓮は焦っていた。なにしろ同じ鎌倉にいる、新義律宗を率いる忍性の勢いには凄まじいものがあったのだ。 彼が成し遂げたこと――鎌倉幕府のトップである、北条得宗家に戒律を授け、仏の教えの上での師となる――は、実のところ日蓮がしたくて堪らなかったことな…
浄土宗に深く帰依していた、その地の地頭・東条景信は、念仏宗を非難中傷する日蓮に対し、激しい敵意を抱く。景信による襲撃の恐れもあり、日蓮は故郷を離れ、一路鎌倉へと向かうのであった――というのが、現在の日蓮宗に伝わる公式ストーリーである。 しかし…
さて、叡尊が復興させた「通受」とは、どういうものであろうか。 戒律には多くのルールがあるのだが、大別すると3つに分けられる。「摂善法戒(善いことを成すための戒)」「摂衆生戒(衆生救済を目指す戒・要するに人々を救う戒)」「摂律儀戒(悪をとどめ…
日蓮に関しては、これまで数多くの著作が出ている。何冊か読んでみたが、最も客観性があって面白かった本が、日本中世史・仏教史学者である、松尾剛次氏の著した「日蓮・戦う仏教者の実像」である。以降の記事の内容の多くは、この本に書かれていることを参…
さて鎌倉仏教のトリを飾るのは、日蓮宗である。おなじみ日蓮が開いた宗派であるが、開祖の名がそのまま宗派になっているのは、この日蓮宗だけである(ただし江戸期から。それまでは法華宗といった。なのでこのシリーズでは、以降は法華宗とする)。そういう…