根来戦記の世界

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印地について~その⑥ 日本近世~近代編

 天下統一が成り、戦乱の世も終わった。独立色の強かった様々な集団は、あらかた潰されるか、権益を取り上げられ幕藩体制という新しい仕組みの中に再編されていった。平和と秩序の時代の到来である。

 発生するたびに死者が出る向かい礫など、お上にとっては百害あって一利なし。当然、禁令を出した。いや禁令はこれまでも出ていたのだが、どこか腰の引けているものであって、例えば鎌倉幕府北条泰時に至っては「あれを禁止すると飢饉が起こるといって、騒ぎになるから放っておけ」と言ったものである。

 しかし既に中世は終わり、新しい時代となっていた。寛永の頃に禁止令が出されているようで、これ以降、死者が何十人も出るような、凄まじい向かい礫は減っていったようである。禁令が効いた・・というよりも、そうした中世的な荒々しい行事を、人々が望まなくなっていた、ということだろう。飛礫の主体を担った「印地の党」も既にない。節句の行事としての向かい礫は姿を消し、菖蒲の葉を束ねたものを刀に見立て打ちかかる、そうした無害なものだけが残った。

 

江戸時代の風俗絵より。子どもたちが束ねた菖蒲の葉で打ち合っている。

 こうして、印地打ちたちは歴史から姿を消してしまったのである。

 ただ、童たちの遊びとしての向かい礫は残った。江戸時代の書物には、各地で童たちが石投げに興じる図と説明文が多く見られるし、昭和の初期くらいまで、石投げ遊びの記録が日本各地に残っている。大抵は、隣村の子どもたちと村境で行っていたようだ。

 まず罵り合いから始まり、次に石を投げ合う。そのうち誰かに当たって血が流れる。当てた方が蜘蛛の子を散らすように逃げてしまって、終わりとなる。当てた方が「ヤバい!」とばかりに逃げる、というのが面白い。江戸時代から連綿と続いてきた習俗なのであろう。

 石投げという行為自体は、勿論それ以降も見られる。江戸から明治にかけての、いわゆる百姓一揆や小作争議などの抗議運動のさいには多用されていた。戦後の学生運動で過激派たちが機動隊に対して投石攻撃を行っていたのは、まだ記憶に新しい。ただ昔と違って、現代社会では地面にそう石は落ちていない。そこで彼らはどうしたかというと、道路の石やコンクリートを剥がしてそれを投げる、という迷惑千万な術を編み出したのである。それだけでなく、火炎瓶も投げていたのだが。(終)

 

<このシリーズの主な参考文献>

・京都の歴史 京都市編/京都市史編さん所/学芸書林

・つぶて/中沢厚 著/法政大学出版社 ものと人間の文化史41

・日本の聖と賤 中世編/野間宏沖浦和光 著/河出文庫

・日本中世に何が起きたか 都市と宗教と資本主義/網野善彦 著/洋泉社

・その他、各種論文を多数参考にした