根来戦記の世界

戦国期の根来衆に関するブログ

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白河印地党について~その② 白河印地党の正体

 何故に白河に、印地の党ができたのだろうか?実はよく分かっていない。以下は個人的な見解になるのだが、白河には平安期、法勝寺を代表とする六勝寺が建てられていた。200年余りで廃れてしまい、今は跡形も残っていないが、白河期に建てられたこれらの寺は、国王の氏寺としての位置づけで格式も高かった。こうした白河の地に、神人を母体とする印地打ちたちが生まれたのは必然であったのかもしれない。

 では、彼らは何をして食べていたのか?これもよく分かっていない。当然、白河には田畑があり、農民たちが住んでいた。だがこれら「きちんとした」自営の農民たちが、印地の党を形成していたとは思えない。本百姓や脇百姓ではない、下人層だとしたらどうであろうか。土地を持たない彼らならば「遊手浮食の輩」の中にカウントできるかもしれない。ただ身分的には地主層に隷属していたはずだから、そんな自由があったかどうか。これも厳しそうだ。

 神人層が母体であったとするならば、何かしらの職種を担当していたはずだ。ひとつ考えられるのは、運送業者である。「鳥羽の車借」と共に、「白河の車借」という言葉も残っているのだ。そう考えると、白河と鳥羽は似ているのが分かる。それぞれ法勝寺・安楽寿院(鳥羽殿にあった寺院)といった大きな寺社があり、付随して厩があった。みやこに近く交通の要衝で、車借の根拠地であった。双方とも印地の党があった。白河と鳥羽に関して言えば、車借たちも印地党の一翼を担っていたかもしれない。ただ車借たちを「遊手浮食の輩」として扱っていいかどうかは疑問に残る。

 先の記事で紹介した、印地の大将・鬼一法眼は陰陽師だ。陰陽師は官に仕えるれっきとした役人であったが、ここでいう陰陽師はそういうものではなく、自称・陰陽師、つまりは声聞師(しょもじ)のことだろう。声聞師に関しては別のシリーズで取り上げるが、祝い事を主とした芸能を以て生計を立てていた非人、つまりは被差別階級に属する人たちであった。各地を遊行して芸を見せていた声聞師たちならば、「遊手浮食の輩」に当たるかもしれない。

 加えて白河印地の本拠近くには「薬院田」があったと記されている。「薬院田」とは何か。よく分かっていないが、恐らくは施薬院、つまりは孤児や貧窮者などを保護・収容する施設が有していた田畑、を指すと思われる。白河印地党がそうした人々を内包していたと考えるならば、「遊手浮食の輩」や「無縁」というキーワードで繋がる、例えば河原者たちとの関連性も伺える。

 ここからは想像になってしまうのだが、神人層の中にも時代の変化による階層分化に適合できずに、もと居た場所からはじき出されてしまったアウトローたちが、少なからず存在したのではなかろうか。拙著「京の印地打ち」の白河印地衆は、強請・押し入り、そして辻相撲の行事などの荒事で生計を立てている、半グレ&ヤクザに近い存在として描いてある。(続く)

 

上杉本「洛中洛外図」より。辻々で行われていた相撲は、賭けの対象でもあった。勝敗を仕切る行司は、興行主でもあったのだろう。