根来戦記の世界

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後期倭寇に参加した根来行人たち~その③ 日本に本拠を置いた王直と、杉乃坊算長

 双嶼が壊滅した時、王直はどうしていたのか?実は彼は、既に双嶼に見切りをつけていたらしく、1547年頃から日本の五島列島に拠点を移していた、という説がある。それによると王直は、本拠を双嶼に置いていなかったことを幸い、蘆七や沈九、陳思盻(ちんしけい)らといった双嶼の残党集団を壊滅させ、うまく立ち回って現地の官憲の信頼を得ることに成功したらしい。

 ライバルを潰してその船団を吸収し、ますます大規模化した王直の船団は、双嶼近くの瀝港(れきこう)に本拠を置き、現地の官憲・郷紳らと結託し、盛んに密貿易を行った、とある。人民の中には、進んで酒米や子女を与える者もいたし、官兵の中にも紅袍や玉帯を贈る者までいたという。

 だが1552年になって、浙江省沿岸を再び略奪船団が襲い始める。4月から7月にかけて、奉化・遊仙塞・瑞安・太倉などが軒並み荒らされ、遊仙塞ではこれと戦って府知事の武偉が戦死する、という事態を招く。この略奪船団に王直が関わっていたかどうかは不明だが、こんな不必要なリスクを冒す必要はなかったような気がする。この時期の王直は官憲とうまくやっていたし、密貿易だけで十分儲かっていたはずだ。やったのはどうやら、王直と関係ない双嶼の残党集団――鄧文俊、林碧川、沈南山らだったらしい。その配下には日本人が数多くいた、とある。

 いずれにせよ、この略奪船団はやりすぎた。怒れる北京から、提督軍務を任せられた、都御使・王抒(おうよ)がやってきたのだ。双嶼の再現である。ターゲットは密貿易集団の最後の大物、王直。「自分はやっていない」と言っても信じてもらえなかったろうし、いずれにせよ祖法に触れる密貿易自体は行っていたから、どうしようもなかったろう。1553年3月、王抒が率いる軍の攻撃により瀝港は陥落、せっかく築きかけた根拠地を失ってしまうのだ。王直は五島列島へと舞い戻り、肥前の大名・松浦隆信に招かれ平戸で大屋敷を構えることになる。

 鄧文俊、林碧川、沈南山ら双嶼の残党らが、多くの日本人を略奪行に誘ったことが、後期倭寇に日本人が参加した、本格的なきっかけになるわけだ。後期倭寇の主体はあくまでも、中国人の元密貿易集団であり、日本人はそれに乗っかった形での参加であった、ということになる。後期倭寇に占める日本人の割合は、2~3割とも伝えられている所以である。

 

倭寇図巻」より。これから略奪をせんと、中国大陸に上陸する倭寇の船。

 前述したように、1542年に種子島に鉄砲をもたらしたのは、この王直だ。そして種子島にやってきた鉄砲を入手、根来に持って帰ったのは四院のひとつであった、杉乃坊の有力関係者・杉乃坊算長である。王直が種子島に来た時に、算長はそこにいたのだろうか。「鉄炮由来書」によると、いたことになっている。そこでは算長は、1530年前後に中国に渡ろうとして失敗、難破して種子島に辿り着き、島の娘と所帯を持って10数年も住み着いていた、とあるのだが、どうであろうか。この説は信憑性が低い。

 更に「鉄砲記」によると、算長は1543年に種子島家の使者として根来を訪れ、かの地に鉄砲をもたらしたことになっている。両書とも算長が種子島家の家臣扱いになってしまっているが、これはどう考えてもおかしいのだ。

 紀の川市に現存する津田氏蔵の家譜によると、算長は杉乃坊の門主である明算の弟、とある。つまり、杉乃坊門主である明算の弟・算長が、種子島に「何か物珍しいものがやってきた」という情報を仕入れたので、翌43年になって来島してみた、というのが真相のようだ。

 紀州の人が薩摩・坊の津を起点とした南海航路を使って活動していたことは、多くの記録に残っている。主役は雑賀の紀之湊の住民であったろうが、根来行人の姿もこうした記録に頻繁に出てくるのだ。普段から南海航路を行き来していたからこそ、こうした情報をいち早くキャッチアップすることができたのだろう。

 また明の人、鄭若曾が記した「籌海図編(ちゅうかいずへん)」には、「倭寇の拠点であった福建省の月港や、浙江省の双嶼港には、乞奴苦芸(きのくに)の人が多く入寇する」といった旨の記載がある。杉乃坊算長は中国語・ポルトガル語を解して、東シナ海を股にかける海商でもあった、とも言われている人物である。陥落前の双嶼を訪れてその黄金時代を目にしていたとしても、不思議ではないのだ。

 また王直は1540年代から頻繁に日本を訪れていたから、平戸や五島で算長と出会っていた可能性もある。王直は物事の調停に優れ、計算にも明るく、学問もあったと言われている人物で(『鉄炮記』には、明の儒者・五峯として登場するほどだ)、相当に魅力的な人物であったことは間違いない。根来の杉乃坊算長と、アジアを股にかけた倭寇大親分・王直。もし両者がどこかで会っていたとしたら、どんな会話を交わしたのだろうか。(続く)