根来戦記の世界

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晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その⑨ 倭寇による国造り・台湾王国樹立とその滅亡

 オランダ勢力を駆逐して、台湾を手に入れた鄭成功はさらに南方、スペイン人の占領するフィリピンに目を向ける。彼の旗下にいたイタリア人修道士をマニラに遣わし貢納を要求した、という記録が残っている。これは現地のスペイン人に、ちょっとした恐慌を巻き起こした。すぐにでも鄭軍が攻めてくるに違いない、そう思い込んだスペイン軍は戦時の内応を恐れ、先手を打って在マニラ中国人を虐殺するという暴挙に出たのだ。(事実、そういう動きもあったのだ)

 報告を聞いて激怒した鄭成功は、マニラを占領せんとフィリピン攻略を企画する。だがこれが実現する前、1662年6月に鄭成功は病死してしまうのだ。台湾征服からわずか数か月後、この時まだ37歳の英雄の早すぎる死であった。長生きしていたら、かつて林鳳が成しえなかったフィリピン占領という夢まで実現するところであった。事実、当時の在フィリピン・スペイン軍の規模と実力では、鄭軍には勝てなかっただろうとみる学者は多い。

 彼の死後、息子の鄭経が跡を継ぐ。だが叔父である鄭襲ら、一族との跡目争いが発生、その勢力は大きく削がれてしまう。中国大陸における拠点は1664年までには全て陥落、鄭氏政権は台湾に引きこもることになる。

 

Wikiより画像転載。「鄭経肖像画」。彼は弟の乳母との間に子を成していて、激怒した父・鄭成功により、危うく処刑されそうになっている。これは当時の儒教的価値観からすると、近親相姦に近いスキャンダルだったらしい。

 

 この鄭氏政権のモットーは「反清復明」であったから、明王朝の末裔である朱以海を擁していた。しかし彼は、鄭成功が死んだ同年62年の年末に、44歳で没している。(死因は喘息が悪化したため、とされているが本当だろうか。)以降も鄭氏は自ら王号を称することはなかったが、周辺はそう見ていなかったようだ。この時期の鄭氏政権は、イギリス東インド会社と通商条約を結んでおり、イギリスの史料には「台湾王国」、或いは「フォルモーサ王国」と記されている。また鄭経に対して「陛下(Your Majesty)」の呼称を使っている。足利幕府将軍のように、海外からは独立国家の王として見られていたようだ。

 そして幸運なことにこの鄭経の下には、陳永華という優れた内政官がいたのだ。陳永華は兵による屯田をすすめ、台湾における農業生産力を向上させた。また製塩技術を改良して良質の塩を得られるようにした他、甘藷の栽培も行っている。更には清の海防を担当する将軍に賄賂を贈り、沿岸における密貿易を再開させている。これら一連の優れた施策により、鄭氏政権下の台湾は一応の安定を見せたのである。

 

ikiより画像転載。赤色が鄭氏政権の支配していた領域で(一時的なものも含む)、オレンジ色が鄭軍の最大侵攻領域。いずれも海や河沿いで、後期倭寇の侵略地域と重なっているのがよく分かる。唯一の違いは、膠州湾沿岸に攻め入っていないことだ。その代わりに、長江を遡って南京近辺を攻めている。略奪が目的の後期倭寇と、政権打倒が目的であった鄭軍との違いがここに現れている。いずれにせよ制海権が命綱で、水から遠く離れてしまうと、その力を保つことができなかったのは後期倭寇と同じで、それが鄭軍の限界であった。台湾も全域を支配していたわけではなく、島の南西部分だけである。当時、台湾の奥地は未開発のジャングルであった。また北部には、しぶとくオランダ勢力が残っていた。

 

 1673年、大陸で軍閥呉三桂らによる「三藩の乱」が発生する。鄭経はこの乱に呼応する形で再び大陸侵攻を行い、厦門周辺を回復することに成功する。呉三桂らの軍は一時、長江以南を占領する勢いをみせるが、清軍の反撃により敗退を重ね、その支配領域は次第に減少。1678年に呉三桂は病死、乱そのものも尻すぼみになり、81年には完全に鎮圧されてしまう。鄭軍も清軍の侵攻に耐え切れず、80年には厦門を放棄、再び大陸から撤退している。

 鄭経は翌81年に病死。遺言により、跡継ぎは例の弟の乳母との間にできた長男・鄭克𡒉(ていこくぞう)であった。彼は祖父である鄭成功に似ていて、果断かつ剛毅な性格であったらしい。しかし不仲であった鄭経の正室・董氏とその一族、そして重臣の馮錫範(ばしゃくはん)が起こしたクーデターにより、彼は殺害されてしまう。代わりに董氏の子である、次男・鄭克塽(ていこくそう)がその座に就く。この時、鄭克塽はまだ12歳の若年であった。

 台湾でそんな内紛劇が繰り広げられている間、清は着実に次の手を打っていた。この時の清の皇帝は、中国史上でもベスト5に入るほどの名君・康熙帝だ。呉三桂ら反乱分子の殲滅に成功、後顧の憂いをなくした康熙帝は、本腰を入れて台湾攻略に取りかかることにする。こういう時に焦らずに、時間をかけて海軍を育成するところが名君の証なのだ。準備万端これならいける、そう判断した康熙帝は1683年になって、遂に台湾攻略の大艦隊を出陣させたのである。

 1万人の兵員を乗せた600隻の大艦隊が、鄭軍の前線基地である澎湖島に攻め入った。劉国軒率いる200隻の鄭水軍は、これと応戦するが多勢に無勢、7月16日に澎湖島は陥落する。その勢いを駆り、艦隊は9月3日に台湾に上陸する。ここに至って、鄭政権の3代目・鄭克塽は(というよりも董氏一族と馮錫範は、というべきか)抵抗する無駄を悟り、清朝に降伏した。この時の清軍の総司令官は、福建省水師都督の施琅(しろう)という、皮肉にも鄭成功の父・鄭芝龍の部下であった男である。台湾占領後、彼は鄭成功の廟を訪れ、その前で号泣したと伝えられている。

 こうして、鄭氏による台湾統治は終わりを告げたのである。

 一介の倭寇であった鄭芝龍が東シナ海を制覇し、明の高官となった。更にその息子は独立王国まで造ってしまった。3代・22年という短い期間ではあったが、この国は確かに存在したのだ。これは倭寇のひとつの到達点であるといえる。この快挙を王直や林鳳らが知ったら、どう思っただろうか。

 なお蛇足だが、現代の台湾海軍には鄭成功の名を冠した「成功級」という名のフリゲート艦シリーズがある。これに対抗する意図があったのだろう、中国海軍が旧ソ連から購入した空母に「施琅」と名付ける計画があったらしい。流石にあからさますぎると判断されたらしく、結局は「遼寧」という艦名に落ち着いたという経緯がある。(終わり)

 

(あとがきのような雑感)

 さて長きに渡ってお送りした「倭寇」に関するシリーズも、今回で最終回となる。元々は「根来行人と倭寇との関係性」をテーマとした、4、5回の記事で終わるだろうと思って始めたシリーズであった。しかし当時のことを調べれば調べるほど面白くなってしまって、根来行人に関するどころか倭寇以外にも話が及び、こんなに長くなってしまった。トータルで22記事である。当初1つの予定であったジャンルを、分類し直している。以下の3つである。

・「前期倭寇とは」3記事

・「後期倭寇に参加した根来行人たち」10記事

・「晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち」9記事

 記事の内容にも、ちょくちょく修正&補足を入れたから、UPされた直後よりも分かりやすくなっているはずである。時間があるときにでも一気に読み直していただくと、また違った印象を受けるかもしれない。

 これまで倭寇や密貿易に関する漠然とした知識はあったのだが、各種論文をきちんと読み込んでみると、知らないことばかりであった。鎖国前の日本やアジア各国、そしてヨーロッパ勢がここまでダイナミックに交流していたとは、お恥ずかしながら私にとっては驚きであった。

 それにしても改めて思うのは、この時期の日本という国が世界有数の資源大国であって幸いであった、ということだ。一時、世界に流通する銀の30%を産出したという、石見銀山産の「佐摩銀」こと「ソーマ銀」。日本を訪れた商人たちは、皆すべからくこのソーマ銀が目当てであったから、これがなかったら彼らがこんなにも日本に来ることはなかったのだ。鉄砲の伝来も遅れていただろうから、戦国の歴史も変わっていたかもしれないし、ここまで多数の鉄砲を(一説にはピーク時で、全国で5〜10万丁とか)生産・所持することも、なかったはずだ。

 日本は17世紀初頭に国を閉じてしまう。この鎖国により日本の文化は、寝かされたワインのごとく熟成され、独自の江戸文化が生まれるわけだが、仕込みの段階でここまで大量の海外の文物・知識・文化が入っていたからこそ、あそこまで芳醇な味わいになったのではないだろうか。もし石見銀山がなかったとしたら、江戸文化ひいては日本の文化は、今とは全く異なる、もっと底の浅い、味気ないものになっていたかもしれない・・

 さて次のシリーズは「根来衆と鉄砲」ないしは「戦国期の京」を予定している。双方とも幾らか書き溜めている記事があるのだが、もう少々手を入れてシリーズとして首尾一貫したものになってから、公開する予定である。

 

 

このシリーズの主な参考文献

鄭成功 南海を支配した一族/奈良修一 著/山川出版社

・台湾の開祖 国姓爺鄭成功/森本繁 著/国書刊行舎

・16・17世紀の海商・海賊/越村勲 編/彩流社

大航海時代の日本人奴隷/ルシオ・デ・ソウザ 岡美穂子 著/中公選書

・南蛮・紅毛・唐人:十六・十七世紀の東アジア海域/中島楽章 編/思文閣出版

倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史/渡邊大門 著/星空社新書

・〈身売り〉の日本史/下重清 著/吉川弘文館

・堺-海の文明都市/角山榮 著/PHP選書

・東アジア海域に漕ぎ出す1 海から見た歴史/羽田正 編/東京大学出版会

・貿易商人王列伝/スティーブン・R・ボウン 著/悠書館

・はじめに交流ありき 東アジアの文学と異文化交流/染谷智洋 編/文学通信

・その他、各種学術論文を多数参考にした。