京から遠く広大な関東地方は、室町幕府より「鎌倉公方・足利家」、そしてそれを補佐する「関東管領・上杉家」によって統治を委任されていた。そういう意味では関東は「ミニ畿内」であったといえる。
しかし「応仁の乱」に先駆けて、1455年に関東では「享徳の乱」が発生、これを機に戦国時代に突入する。鎌倉公方は古河公方と堀越公方に分裂し、関東管領であった山内上杉氏は、分家の扇谷上杉氏と争い始め、更に内部で反乱が起きて合従連衡を繰り返す、という大混乱状態となる。(「応仁の乱」の訳の分からなさも大概だが、関東におけるこの「享徳の乱」も、相当なグダグダぶりである。)そんな魑魅魍魎渦巻く関東の地にやってきたのが、伊勢新九郎盛時こと北条早雲である。彼が伊豆に討ち入ったのは、1493年4月のことであった。
この伊勢新九郎盛時――新九郎は呼び名であって、本来明記すべき名は盛時なのだが、どうもしっくりこないので、以降この記事では新九郎と明記する――を祖とする北条氏は、とてもユニークな存在である。守護の出でもなければ、国人や地侍ですらない。室町幕府に仕える高級官僚・伊勢家の人間が京から下向し、公方のお家騒動に乗じる形で伊豆・相模を占領し、大名化した存在なのである。代々関東に居を構えていた昔からの勢力にしてみれば「よそ者」であり、敵対勢力には「他国の逆徒」とまで罵られているのだ。
そういう意味では因習やしがらみといったものに一切縛られなかった彼、伊勢新九郎は自由に行動でき、その類い稀なるカリスマ性も相まって、己の元に絶大な権力を集めることに成功したのであった――と言いたいところであるが、これまたそんなことはなかったのであった。

そもそも新九郎は、実姉の嫁ぎ先である駿河の今川家に、その子(自分の甥)を今川家の当主に就けるために、京からやってきた人間なのである。首尾よくそれがうまくいき、1489年に甥・竜王丸(後の氏親)が新当主となる。新九郎は擁立の最大の功労者として竜王丸の後見人となり、また所領として今川領・富士郡南部の下方地域などの地を得るのだ。
こうしてひとまず目的を達した新九郎は、1491年までには帰京しており、京において将軍・足利義稙の申次衆になっているのが確認できる。このまま何もなければ、新九郎は今川家に幾ばくかの所領と影響力を持つ、豊かな高級官僚として京で生を全うしていたことだろう。だがそうはならなかった。
そのころの伊豆には堀越公方・足利政知がいた。彼は前々将軍・足利義政の異母兄であり、古河公方に対抗するため京から送りこまれた、いわば幕府公認の正式な公方なのである。しかし古河公方に対抗するどころか、上杉氏にも歓迎されず鎌倉の手前にある伊豆は堀越にて留まっていた。独自の軍事力も待たず、無聊をかこつ日々。しかし、そんな彼にも大きな野望があった。
それは次男の清晃を京に送り込んで次の室町幕府将軍に、そして三男の潤童子に自らの後を継がせて堀越公方に就任させることである。我が子を兄弟で、東西の公方の座を占めることを画策していたのである。そして、それは実現しそうだったのである。
実のところ新九郎が活躍した今川家のお家騒動に対しても、堀越公方の支持があったと推測されている。京において次男の清晃を次期将軍の座に就けようと動いていたのは、新九郎の従兄弟・伊勢貞宗を当主とする伊勢本家だったのだ。その質、という意味合いもあったのだろう、新九郎は堀越公方の奉行衆にもなり、伊豆にある田中郷も所領として与えられていた。
ところがその伊豆で、お家騒動が発生する。1491年に足利政知が死亡してしまったのだ。すると素行不良のため廃嫡されていた、長兄であるがおそらく庶子であった茶々丸が、正当な跡継ぎである潤童子とその母を殺害し、堀越公方の地位を簒奪したのである。まさかの出来事であった。
駿河のすぐ隣、伊豆の情勢が不安定になったため、新九郎は再び駿河へ下向する。竜王丸はまだ元服前で、後見人である叔父の力を必要としたのだ。実際、茶々丸と連動した勢力により甲斐国の情勢が不穏となったので、その牽制のため新九郎が兵を率いて国境を越えている(すぐに兵を退いたようだが)。
そして茶々丸によるクーデターから2年経った1493年、京にいた清晃が還俗し、足利義澄としてようやく第11代室町将軍に就任するのだ。新将軍・義澄は自分の弟と母を殺した、憎き茶々丸の討伐を諮る。関東で叛乱が起きた場合、これを鎮圧する役目を担うのは駿河守護だ。此度も今川家にその役目を果たしてもらうしかあるまい。そしてその今川家を仕切っているのは誰であろう、自らの支持母体である伊勢家の一員、新九郎だ。そんなわけで新九郎率いる今川家が、茶々丸討伐の主体となったのである。
新九郎にしてみても、伊豆における所領(そんなに大きなものではなかったが)を茶々丸に押領されていたはずだから、それを取り返すという動機もあった。こうしてようやく記事冒頭に戻るのだが、新九郎は今川家の兵も借りつつ逆賊・茶々丸を討つべく、伊豆へと侵攻したのであった。(続く)
一読して驚いた。北条氏の研究がここまで進んでいたとは…この記事の元ネタは、ほぼこの本に拠っている。残された史料の豊富さもあって、戦国大名の研究の中で最も進んでいるのが北条氏なのだが、その研究を引っ張っている一人が、著者の黒田基樹氏なのである。なお氏は国衆の研究でも有名である。近年、呉座勇一氏や磯部道史氏だけでなく、この黒田基樹氏や平山優氏・丸山和洋氏など、一線にいる研究者たちが一般向けの本を次々と出しているのは、戦国ファンには嬉しい限りである。
