早いもので、ブログを立ち上げてから1年経ちました。1年であげた記事は100を超えているから、3.5日に1回のペースで記事をUPしたことになります。
(質はともかくとして)内容的にはそれなりに重いものにも関わらず、このペースでUPできているのは、ネタの蓄積があったからです。ブログの説明にもある通り、趣味で時代小説を書いてkindleで出版しています。1巻は戦国時代の京を舞台とした印地打ちを主人公にした話で、2巻は舞台を紀州・根来寺に移し、寺内における武力闘争を描きました。
初めて書いた時代小説ですが、主人公のバックグラウンドや当時の生活様式、考え方や行動原理を描く際には時代背景を知る必要があるので、相当勉強しました。勉強して腑に落ちたのは、明治の偉大な歴史学者・内藤湖南博士の有名なセリフです。
ちょっと長くなりますが、引用します――「大体今日の日本を知る為に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、応仁の乱以後の歴史を知って居ったらそれで沢山です。それ以前の事は外国の歴史と同じ位にしか感ぜられませぬが、応仁の乱以後は我々の真の身体骨肉に直接触れた歴史であつて、これを本当に知って居れば、それで日本歴史は十分だと言つていいのであります」というものです。

要するに、今に生きる我々日本人の根っこの大部分は、戦国時代あたりから成立したものが殆どであり、それ以前の文化や思考はいわば他国のものに等しい、ということです。時間という名の障壁は、地理的なものと同じ、いや時にはそれ以上に、文化の隔絶を強いるのです。
YOUTUBEに面白い動画があります。奈良時代の人々が話していた言葉を再現した音声です。聞いてみれば分かりますが、まるで他国の言語です。文法的には近しいのですが、単語のみならず抑揚やイントネーションまで違うので、テロップなしには全く理解できません。
動画の前半部分で騙されてはいけない。ちゃんと後半まで見よう。比較言語学の観点から復元しているそうなので、信頼性はかなり高い。仮にこの時代に現代人が転生したとしても、言葉が通じないので面食らうだろう。最も言葉以前に、行動原理や価値観が現代とは全く異なるので、現代の知識を生かす前に野垂れ死にしそうである。
これは日本に限った話ではありません。例えば料理です。世界には様々な料理がありますが、これらはほぼ全て近世になって花開いたものです。フレンチも中華もイタリアンも日本料理も、近世以前はどれも貧相なものでしかありませんでした。同じように、現代に生きる我々につながっている各種の文化も、近世以降に形になったものが殆どなのです。
そう考えると現代日本人を理解するためには、江戸期以降の文化と歴史を勉強すれば殆ど分かるのかもしれません。ただ近世という時代を理解するためには、中世をある程度理解する必要があり、内藤湖南はそういう意味で「応仁の乱以降」と言ったものと思われます。
何が言いたいのかと言うと、戦国期の人々の行動様式や文化ですら、江戸期とは結構違う、ということです。江戸時代、特に後期の人々の記録を読むと、その行動や価値観は現代人とあまり変わらないイメージがあります。現代人が流行りの転生をしたとしても、江戸中期~後期くらいならば、少なくとも文化的なギャップは埋めて、何とかやっていけそうです。
でもこれが、例えば天下統一前の戦国期となると疑問です。そもそも、社会を構成する共同体がガッチリしている。そしてその共同体ごとに、価値観や行動様式が違う。また当時の人々の攻撃的なことには、驚きます。隙あらば相手に食らいついて、その利権を奪おうとします。油断も隙もないのです。自分らの身は自分らで守らねばならない、まさしく自力救済の時代だったのです。動乱の時代だったから、そうでもしなければ生き抜いていけなかったのでしょう。
今も昔も、時代小説の殆どは江戸後期を舞台にしたものです。江戸後期の人々は、価値観が我々に近しい(と考えられている)から共感できるのです。現代の日本と同じ、戦争のない平和な時代が長く続いたことも、大きいかもしれません。
一方、戦国期を舞台にした本格的な時代小説は少ないです――戦国大名を主人公にした、歴史小説は多いのですが。戦国大名が主人公だと、武士の狭い世界を描くだけなので、読者もそう違和感なく世界に入り込むことができるからでしょう。(続く)