1578年5月、ついに両者の間で戦端が開かれます。上杉家は景勝派と景虎派に真っ二つに割れ、国中で争い始めたのでした。
上杉家中の武将たちや越後の国衆らは、何を拠り所にしてそれぞれの陣営に味方したのでしょうか。双方の陣容を見てみましょう。
まず景勝の利点は何といっても、その血筋になります。由緒正しい上田長尾家を率いる身であり、家格という点ではその資格は十分にあります。しかし利点といえばそれくらいで、数多くの問題を抱えていました。
まず第一に、前記事で紹介したように中央集権志向であったこと。一国を率いる指導者としては、全くもって正しい思考なのですが、既得権益を侵されるのを恐れた多くの家臣たちがこれを嫌ったのでした。
第二に、亡き謙信の方針を踏襲することを明言していたこと。謙信の本懐は関東管領として彼の地を統べることでしたから、景勝政権になった場合、関東への遠征を再び行うことになります。本領を越後に持つ家臣たちは、労多くして益のない関東出兵には、心底うんざりしていたのです。
一方、景虎は北条家からやってきた「よそ者」です。そういう意味では上杉家の家督を継ぐ正統性は薄いのですが、景虎政権になった暁には間違いなく、北条家との関係が改善することは見えていました。この点が有利に働いたのです。
それぞれについた家臣と、その居城を見てみると面白いことが分かります。まず謙信政権下で上杉家を支えた重臣たちの多くは、景虎についています。彼らは特に関東遠征の際には、主力として駆り出された者たちでもありました。例えば北条氏との最前線にいた厩橋城の北条(きたじょう)家、沼田の河田家などですが、彼らは越相同盟の推進派でもあったのです。
一方、景勝についたのは、まずは上田長尾家が治める地・坂戸城がある上田庄。ここは景勝の実家なので当たり前なのですが、その他としては謙信の旗本たちの多くも景勝についています。旗本という立ち位置から見るとやはり、上杉家の血統というものは無視できない要因だったのでしょうか。そして越後北部、揚北(あがきた)衆を中心とした勢力もまた景勝につきました。彼らは独立性の極めて高い集団で、外様扱いの国衆たちでした。

「御館の乱」発生時の景勝方(赤色)・景虎方(黄色)の居城イメージ。双方の代表的な勢力の居城を丸で示してあります。城の配置はそこまで正確なものではないので、ご注意を。御覧の通り、春日山周辺の上越から中越にかけて、そして上野国は概ね景虎方についています。
景勝についた揚北衆ですが、その名の由来は阿賀野川より北にいるので「阿賀野北衆」、これが転じて「揚北衆」となったようです。上杉家の軍事力の30%ほどを占めるほど強力な集団でしたが、地域に根差した土俗的勢力であり、揚北衆同士でも仲が悪く、互いに争っていました。
彼らの独立性を担保したのが、揚北地方の地形です。清水克之氏の著作「室町ワンダーランド」によると、中世の阿賀野川北岸一帯は細かい河川が入り組んだ、大小の潟湖がそこかしこにある、広大な湿地帯だったとのことです。(そもそも新潟という地名からして湿地帯なわけです。その名残が新潟市にある福島潟です)。またこんな地形だったので稲作が振るわず、代わりに苧麻の栽培をせざるを得なかった、という面もあるようです。ここと同じような地形といえば、戦国期の伊勢長島辺りが近いかもしれません。伊勢長島もまた河川の入り組んだ地形で、彼の地の制定に信長が苦労したのは有名な話です。
揚北衆はなぜ景勝についたのでしょう?これまで揚北衆は外様扱いでした。強力な戦闘能力を持ちながら、その独立性ゆえに上の言うことを聞かず、謙信もひどく手を焼いていることが記録の端々から垣間見えます。そんな彼らにしてみれば、これまで厚遇されていた重臣たちと同じ陣に属したところで、外様扱いは変わりません。なので敢えて逆張りした、ということのようです。
さて景勝は春日山を占拠したはいいものの、その周辺はほぼ景虎方で占められてしまっています。上田長尾氏の本拠地である上田庄から軍を呼び寄せようにも、その背後にある上野国の沼田・厩橋は景虎方なので、軽々には動けません。揚北衆にいたっては、春日山城にたどり着くには中越を突破する必要があります。
一方、景虎は春日山城から目の鼻の先にある、上杉憲政の居館である御館に入り、そこを本拠と定めました。御館は幅約20mの堀で囲まれており、平城にしては守りも固く、5つの郭で構成されていました。近くには直江津の湊もあり、流通拠点としても重要で、春日山を経済封鎖する狙いもあったものと思われます。
景虎は早速、実兄である北条氏政に援軍を要請します。また周辺の勢力の多くも景虎方であったため、瞬く間に6000もの兵力が御館に集まってきたのです。景勝は春日山城に閉じ込められてしまった形になります。
この時に景勝が如何ほどの兵力を擁していたかは定かではありませんが、そこまで多くなかったのは間違いないようです。状況は絶望的でした。ここから景勝は、如何にして逆転の一手を打っていったのでしょうか。(続く)
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