根来戦記の世界

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根来寺・新義真言宗とは~その① 平安末期に流行した、2つの思想「浄土思想」と「末法思想」(上)

 ようやくにして根来寺新義真言宗の教義がどういうものなのか、どのようにして成立したのか、高野山から独立に至った経緯などについて語れるまで辿り着いた。

 そもそもこの話がしたくて始めたシリーズだが、前段として仏教の基礎知識がないと理解できないので、日本における仏教とは~という話から始めざるを得なく、予想以上に長くなってしまった。途中からやむなく前半部分を「日本中世に至るまでの仏教について」というシリーズとして独立させた次第である。

 信心深い性質ではないので、信仰としての仏教にはそこまで心を惹かれない。しかしそのロジックや思想の変遷などは面白く、全14回と長めのシリーズになってしまった。番外編の円載で3回も続いたのは、流石に長すぎたかもしれない。でも面白いので筆が進んでしまった――それにしても1200年前の古代に生きた、一人の僧の人生をここまで追えるのは驚くべきことである。日本に残っている史料の量は、特に中世以降は世界有数レベルだと言われているが、古代はそうでもない。にも関わらず円載の人生をこんなに追えるのは、中国側にも史料が残っていることと、彼について書かれているのが寺社関連の史料だからである。寺社は史料の宝庫なのである。

 そんなわけで仏教の思想史を綴ってみたが、これでも表層を軽くなぞっているだけで、書こうと思ったらいくら書いてもキリがないのだ。また日本の仏教を知るには中国の仏教も知る必要があり、必然的に遣唐使についても調べるわけであるが、これがまた素晴らしく面白く(良書が多い!)、本当は遣唐使についてもすぐに書きたくてたまらないのだが、話が進まないので今は我慢する。いずれ独立したシリーズとして紹介するつもりだ。

 検索先から直にこの記事に辿り着いた方は、これを読む前に前段となる下記のリンク先「日本中世に至るまでの仏教について」の一連の記事を読むことをお勧めする。

 

 

 ――さて本題に入ろう。「浄土思想」或いは「浄土教」という、仏教の教えがある。元はインドで生まれた仏教信仰の一形態だが、その基礎となっているのが「現在地方仏」という考え方だ。これは「この世界ではブッダは亡くなったが、この世界とは別にある無数の世界では、別のブッダが今も活動している」というもので、現代でいうところのパラレルワールドと同じ考え方なのである。

 この浄土思想、他の宗派と同じく中国において発展した。その代表的なテキストは「無量寿経(むりょうじゅきょう)」という経典だが、そこには「阿弥陀仏を信じ、生まれ変わろうと願いつつ10回念仏すれば、その世界に生まれ変わることができる」と書いてある――つまり他のブッダが今も活躍している並行世界に転生できる、ということだ。

 これはつまり、いま流行りの「異世界転生」ができる、ということである!――ただし、転生先でチート能力が付与されるかどうかは、経典には記されておらず、また昔はライトノベルもなかったから、異世界転生という概念は広まらず、代わりに「死後、極楽浄土に生まれ変わることができる」という考え方に落ちついたわけである。

 この浄土思想、7世紀には既に日本にも来ていたとみられる。しかし、そこまで盛り上がることはなかった。浄土思想は多分に他力救済的な要素が強い。本来の仏教はあくまでも自分が修行して悟りに至る、つまり自力修行こそが主流の考え方であり、奈良~平安初期の主流はあくまでも南都六宗、そして天台宗真言宗であった。

 しかし、この浄土思想を日本に持ち込んだ僧がいる。おなじみ円仁である。彼が修行した中国の五台山においては、「四種三昧」という精神集中のための行が行われていた。円仁はそれを日本に持ち帰ったのであるが、そのなかのひとつ「常行三昧」は「阿弥陀仏を本尊として、90日間その周りを回り、阿弥陀仏の名を唱えながら精神集中を図る」というものであった。これが平安期の貴族たちに、大変にウケたのである。

 この辺りを、もうちょっと説明しよう。「阿弥陀仏の名を唱えながら、精神集中を図る」と書いたが、これは要するに「念仏を唱える」ということである。仏像を前にして念仏を唱える。何を当たり前のことを言っているのかと思うかもしれないが、実は円仁が上記の「常行三昧」を導入するまでは、そうではなかったのだ。

 そもそも「念仏」とは読んで字のごとく、「仏を念じる」行為である。念じることが目的であってその手段は様々であったが、平安平安初期までの念仏は「観想念仏」といって、「仏や極楽浄土を脳裏に思い浮かべ、一心不乱に念じる」方法が主流だったのである。

 例えば「無量寿経」と並ぶ、浄土思想の重要な経典である「観無量寿経」は、「極楽浄土と、そこにいる仏たちを如何に観想するか?」を示したマニュアルともいえる。まず西に沈む夕日を見ることから始まり、最終的には浄土にいる仏たちを見るに至るまでを、13の段階に分けて描いているのだが、情景を実に事細かに描写している。そうしなければ読む人を観想を通じて極楽浄土に導けないから、イメージしやすいように細かく描写しているわけだ。

 この場合、口で経典の一部を唱える「称名念仏」は必須ではない。称名念仏もあるにはあったが、数多ある念仏の一形態にしか過ぎなかった。

 

広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像」。国宝第1号である。そもそも、仏像とは何のためにあるのだろう。結論から言うと、祈りを対象にフォーカスさせるためである。目の前にあるアイコンに対して祈ることで、念を集中させることができるわけである。これは古今東西の宗教に共通する動作なわけだが、特に仏教ではその対象となる仏像の美術化が進んだ。仏像美術は極めて奥が深く、世界的にも高く評価されたジャンルなのだが、これらが発達した理由はちゃんとあって、要するに一種のイメージトレーニングである「観念念仏」を、し易くするためなのである。「観無量寿経」を読んだが、文章だけではしっくりこない人でも、目の前に仏像があればイメージしやすい。仏像を前に如何に観想するか、その方法論まで確立している。まず阿弥陀仏の座している蓮華座を観じ、そこから肉髻・毛髪・耳など、42の部位を頭から足元まで順に観じ、下までいったら今度は逆に頭まで観じていく。これを何度も繰り返す。それこそ、舐め回すように見ていくのである。なので、対象となる仏像が芸術的に優れていればいるほど、観想もより捗るわけだ。奈良から平安期の貴族たちは、観想するために競って質の高い仏像を求めたから、仏教美術が発達したというわけである。同じ文脈で仏画曼陀羅も、観想の為に可視化されたものと考えることができる。この時期の仏像・仏画の美術的評価は極めて高く、国宝が目白押しである。

 

 そして円仁が日本に新たにもたらしたこの行であるが、ここで唱えられる称名はこれまでの単調なそれとは違い、極めて音楽的な曲調の称名であったのである。以降、叡山の称名念仏は修行というよりも、儀礼的な面が強まる。そしてこの称名念仏と共に浄土思想が、平安貴族の間で爆発的に流行することになるのである。(続く)

 

奈良・當麻寺の本尊は仏像ではなく、この曼陀羅密教曼荼羅と区別するため、異なる漢字を用いる)「観無量寿経浄土変相図」である。これは浄土思想の経典「観無量寿経」の世界を、ズバリそのまま視覚化したものだ。文章だけではしっくりこない人でも、絵画化すれば観想しやすいのである。当時の人はこれを見ながら、浄土へ往けるように願った。