非人について
このシリーズの始めのほうの記事で、非人には「狭義の非人と広義の非人」がいると紹介した。しかしこれまた時期と地域によるのだが、「非人に近い扱い」をされていた職能民というものが数多くいたようだ。 以前紹介した「狭義・広義」の非人の定義づけは、あ…
この「通夜参籠の術」のギミックは、拙著1巻でも使わせてもらっている。(以降ネタバレになるので、先を読む方は注意)。 主人公の義姉に対して、種付けをした声聞師らがいる。淀君に対して種付けを行った者らと、同じ党であるという設定である。その党の名…
先の記事で少し触れたが、声聞師たちは秀吉によって弾圧を受けている。1594年、堺で10人、大阪で8人、そして京都で109人の声聞師たちが、尾張に強制移住させられているのだ。 この奇妙な事件を、これまでの史学会ではどう説明していたのか?声聞師…
話が唐突にそれるのだが、秀頼は秀吉の実子ではない・・・というのは「現代医学的には」間違いのないところらしい。幾つかのデータを現代医学の知見から見てみよう。 服部英雄氏の著作「河原ノ者・非人・秀吉」によると、好色な秀吉が生涯に愛した女性の数は…
先の記事で、戦乱の世を乗り越えられなかった声聞師集団として「小犬党」を紹介した。こうした党は他にもあって、室町期の記録にはあるが、戦国期の記録には出てこない党として「柳原党」「犬若党」「蝶阿党」などがある。 まず「柳原党」だが、これは比較的…
先の記事で、応仁の乱を境に声聞師集団のパワーバランスが変化した可能性がある、と書いた。室町期に見られた幾つかの党が、戦国期の記録には見られなくなるのだ。 室町期に存在した有名な声聞師集団に「小犬党」がある。 相国寺の西、柳原に居住していたと…
京の声聞師集団は、正月の4日・5日の両日に禁裏、7日には将軍邸を訪れ、そこで中世のミュージカルである「曲舞(くせまい)」を披露して正月を祝った、と当時の記録にある。この行事を「千秋万歳(せんずまんさい)」と呼ぶ。 まず4日に行われる「千秋万…
大道芸で食っていた声聞師たちであるが、それぞれが勝手気ままに町中を徘徊し、芸を行っていたわけではない。混乱や争いを避けるために、彼らなりの仕来りがあり、縄張りもあっただろう。つまり彼らを仕切っていた組織があった、ということである。 こうした…
拙著1巻「京の印地打ち」に登場する「大黒印地衆」は「声聞師(しょもじ)」たちから成る印地集団である。声聞師とは「広義の非人」の中に分類された職能のひとつで、民間で芸能ごとを行っていた人々である。安倍晴明で有名な陰陽師の系譜を引く、という触…
当時の被差別民が携わっていた職能は多岐に渡っていたように見えるが、基本的には全てキヨメに関わるもの、ないしはそこから派生したものであった。過去の記事で「千本河原者」がキヨメの仕事に参入してきた「一本杉河原者」に対して、北野社に訴えを起こし…
先の記事で紹介した騒動から10年ほどたった1224年、清水坂で大きな動きが起きる。奈良坂の後ろ盾で復権したAが、何とその支配からの脱却を狙ったのだ。奈良坂からの入り婿であった淡路法師をはじめとする、吉野・伊賀・越前法師ら、奈良坂派の長吏ら…
犬神人は清水坂宿に所属していた非人である。その清水坂宿は、近江から瀬戸内にかけて存在する、数多の非人宿を支配下に置く、いわゆる「本宿」であった。 だがこの清水坂宿と並ぶ、強力な対抗勢力がもうひとつあった。奈良は興福寺の近くにあった、奈良坂宿…
これまでの記事で言及したように、各地にあった「非人宿」を管理していたのは「長吏とその配下集団」である。そして畿内にあった、これら宿の総元締めのひとつが「清水坂宿」であった。この清水坂宿に住む配下集団は、「犬神人」とも呼ばれていた。(ただ清…
前記事では典型的な「狭義の非人」と称される「宿非人」を取り上げた。では「広義の非人」とは何か。細川涼一氏による「中世非人に関する二、三の論点」という論文がよくまとまっているので、この内容を紹介してみようと思う。 まずは京における非人の数につ…
少し前のシリーズで、河原者を取り上げた。今回取り上げるのは、非人である。そもそも非人、とはなんぞや。これは難題で非人の定義によるのだ。過去の記事で述べた通り「河原者は非人の一種である」と捉える研究者もいるわけだから、本当はこのシリーズを先…