根来戦記の世界

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非人について~その① そもそも、非人とは何か

 少し前のシリーズで、河原者を取り上げた。今回取り上げるのは、非人である。そもそも非人、とはなんぞや。これは難題で非人の定義によるのだ。過去の記事で述べた通り「河原者は非人の一種である」と捉える研究者もいるわけだから、本当はこのシリーズを先にやるべきであったかもしれない。

 さて中世の記録を見ていくと「宿非人(しゅくひにん)」という言葉が出てくる。これは「宿」に住む「非人」ということである。では「宿」とは何か。これは中世において、非人たちが集住していた村のことを指す。

 各地にあったこれら「宿」だが、近畿にあったものに関していえば、2つの系統に分けられる。まず大和・伊賀・南山城にあったもの。これらは奈良の興福寺をバックに持つ「奈良坂非人宿」の支配下にあった。次に近江から京・瀬戸内にかけてのもの。こちらは京の祇園社をバックに持つ「清水坂非人宿」の支配下にあった。つまり近畿にある「宿」は、必ずどちらかの「本宿」に属していたのである。

 各宿の支配層を「長吏(ちょうり」」と呼び、長吏層のうち幾人かは必ず「本宿」である清水坂、もしくは奈良坂に詰めていた。そしてこの両坂は宿の帰属を巡って、時に激しく争っていたのであった。(これに関しては後述する)

 次にこれら「非人宿」の構成員を見てみよう。

 黒田日出夫氏によると、中世における非人宿構成員には3つの階層があった、としている。下記がその一覧である。

 

①・長吏とその配下集団・・・非人層の支配階級

②・乞食・不具者たち・・・・身体に障害のある人たち、物乞い

③・癩病患者たち・・・ハンセン病に代表される、重度の皮膚疾患を持つ人たち

 

 まず③の籟病患者から。これは、ハンセン病患者がその殆どを占める。らい菌の細菌感染により徐々に体が崩れていくように見えることから、ハンセン病は当時「前世の悪行の報い」とされていた。現代に生きる我々からすると理不尽な話であるが、罹患すること自体が罪として認識されていたのである。

 何らかの形で身体に障害がある②の不具者たちも、同じ文脈で差別されていた。なおこれは個人的な意見であるが、ここには社会生活に適合できない、ある種の精神病患者らも含まれていたかもしれない。

 「自力救済」が基本ルールである中世の日本では、生きるために誰もが何かしらの共同体に属する必要があった。そうしなければ、誰も守ってくれないのである。そういう意味では、当時の社会情勢では生存に極めて不利であった②と③の人々も、こうした共同体に属することで生き延びることができた、と見ることもできるだろう。一種のセーフティネットであった、という考え方もできるかもしれない。

 ②と③の人々も、職能民である――彼らは「乞食」という名の芸能をしていたのである。そして人々の喜捨によって生計を立てていた彼らを仕切っていたのが、①の非人層の支配階級である「長吏とその配下集団」であった。

 この①の「長吏とその配下集団」を、半世紀ほど前の階級闘争史観全盛時には、②と③に寄生してこれを搾取する集団、と見る向きもあったようだが、最近では流石に減ったようだ。

 「長吏とその配下集団」がそうした側面を持っていたことは否定しない――実のところ、彼ら長吏層は「乞食」を仕切るあがりなどで、それなりに豊かであったようなのだ――が、それよりも触穢思想からくる「穢れ」故に、社会から忌避されていた②と③の集団を看病・管理し、世間との橋渡しをする役割を果たす職能民であった、というのが本来の姿だろう。

 なお一部の宿(九条宿)などでは、16世紀には公家の家人(九条家家人の石井修理亮長親)と被官関係を結び、田畑まで所有していた例もあり、かなりしっかりした経済基盤を持っていたことが確認できる。こうした各宿からあがる田畑の年貢は、本宿へと一部送られていたようである。

 

中世における「宿」の構成員を、可視化したもの。それぞれの階層に、どれだけの人数がいたかは不明である。支配層である長吏であるが、清水坂にいる長吏たちは「犬神人」とも呼ばれていた。

 これら3種の人々によって構成されていたのが、「宿非人」なのである。これら「宿非人」らを「狭義の非人」とも呼ぶ。

 では「広義の非人」とは何か?(続く)