根来衆と鉄砲
おなじみ慶誓こと、佐武源左衛門も鉄砲の名手だった。彼が根来衆であった時期は短く、戦歴の殆どは雑賀衆としてのものなのだが、参考までに「佐武伊賀守働書」に記された彼の武勇伝を見ていこう。自ら記したこの記録によると、生涯で彼が参加した戦いの数は…
根来の鉄砲隊といえば、やはり杉乃坊だ。そもそも種子島から火縄銃を持ち込んだのが杉乃坊算長で、津田流砲術という日本初の鉄砲術の流派を起こすくらいだから、当たり前と言えば当たり前なのであるが。この津田流をさらに発展させたのが、彼の子であり兄の…
戦国から、いきなり幕末の話になってしまった・・・すぐに話が逸れるのが、著者の悪い癖である。この記事では本筋と少し離れて、その後の日本の鉄砲と、特に大砲の技術的変遷について述べてみたいと思う。 江戸期に入ると幕府によって鉄砲と大砲の生産は規制…
鉄砲に比べ、大砲の国産化の方は難航している。大友氏が小型青銅砲の製造を行っていたようだが、銅はとにかく高価であったから、製造コストが非常に高くつく。代わりに安価な鉄で大砲を鋳造する、というのが世界的な代替手段なわけだが、日本においては難し…
日本人はあっという間に鉄砲の生産技術を習得、世界有数の鉄砲保有国になってしまう。戦国期の日本は、どれくらい鉄砲を有していたのだろうか? もちろん統計なぞないから、推測するしかない。まず時代が経てば経つほど鉄砲普及率は上がっていくはずだ。戦国…
複数のルートで、日本各地に伝播した火縄銃。前記事でも触れた通り、日本の鍛冶屋は日本刀によって培われた鍛鉄技術に秀でていたから、すぐに技術を習得、各地で鉄砲生産が始まった。国産の第一号が造られたのは、種子島である。関の出身であった鍛冶師・八…
明が残した記録に、非常に興味深い内容のものがある。前回の記事で、薩摩からの船が捕まった話を紹介したが、その1か月後の48年4月に別の密貿易業者・方三橋という男の船が、同じように双嶼付近で明軍に捕まっているのだ。 その記録によると、押収したこ…
鉄砲は日本にいつ、どこに伝来したのか。 一般にも知られている鉄砲伝来のストーリーとしては、1542年、ないし43年に種子島に到着した中国人倭寇、王直の船に乗っていたポルトガル商人から、当主の種子島時堯(ときたか)が鉄砲を入手。うち1丁が津田監…
根来と言えば、隣の雑賀と並んで鉄砲隊が有名である。戦国期に根来寺がここまで勢力を伸ばせたのは、間違いなくこの新兵器の威力によるものが大きい。このシリーズでは、根来衆と鉄砲に関わる歴史を見ていこうと思う。 そもそも鉄砲、とは何か。辞典には「銃…