根来戦記の世界

戦国期の根来衆に関するブログ

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2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧

河原者と天部について~その① 平安末期に成立した「触穢思想」とは

新シリーズである。拙著1巻の主人公・次郎は印地打ちであり、その師匠として「鹿丸」という印地の達人を出した。彼は山水河原者である。 「河原者」とは何か。端的に言うと、彼らは河原に住み、賤視されていた被差別民である。なぜ彼らは賤民視されていたの…

戦国時代の京都について~その⑬ 天文法華の乱・その後の京

この「天文法華の乱」を以てして「日本における宗教戦争のひとつ」と論じる人いるが、どうだろうか。宗教戦争の定義にもよるが、確かにそういう面もあるだろう。開戦に至った契機は、教義上の争いである「松本問答」なのだから。 だが教義上の違いが問題にな…

戦国時代の京都について~その⑫ 天文法華の乱・京都炎上

そして運命の日、1536年7月23日。その夜、みやこの人々は東にある叡山を遠望し、恐怖におののいたことだろう。山中に無数の篝火が焚かれ、蠢いている。そしてその火は、列となって一斉に山を下りてくるではないか。みやこを襲わんと、松明を手に下山…

戦国時代の京都について~その⑪ 天文法華の乱・比叡山延暦寺、兵を挙げる

山科本願寺を壊滅させ、京のご政道を我が物とした京の町衆たち。これが実現したのが1532年のことである。ここから約2年間は町衆、というか法華宗徒たちの我が世の春が始まる。先の記事で見た通り、「衆会の衆」たちによる「洛中洛外のご政道」が行われ…

戦国時代の京都について~その⑩ 天文法華の乱・宗教的な自治組織「衆会(しゅうえ)の衆」

洛中洛外における検断権、地子銭などの納税拒否、そして遂には京周辺の村落の代官請の要求など、未だかつてないほど高まった、町衆らによる京の自治権。だが注意しておきたいのは、日蓮宗(法華宗)を核としたこの「衆会の衆」を、地縁を元とした「京の町衆…

戦国時代の京都について~その⑨ 天文法華の乱・京の検断権を握った町衆たち

1年余り続いた、一向一揆との苦しい戦い。しかし1533年6月、一向一揆との和議が成り、ようやく京に平和が訪れた。将軍・足利義晴と新管領・細川晴元は、更にそれから1年たった1534年6月になって、ようやく入洛を果たしている。将軍・義晴は南禅…

戦国時代の京都について~その⑧ 天文法華の乱・一向一揆との死闘

本願寺・第10世宗主である証如はこの時17歳で、教団の実権はその祖父であり後見人でもあった、蓮淳が握っていた。細川晴元と組んで、一揆の蜂起を決定したのもこの蓮淳であったが、今や暴走する一揆をなんとか制御下に置こうと、悪戦苦闘する始末。しか…

戦国時代の京都について~その⑦ 天正法華の乱・畿内を暴れまくった一向一揆

先の記事で触れた通り、京の自治権がピークに達したのは、1530年代である。この頃何があったかというと、畿内においては一向宗が暴れまわっていた。なぜ一向一揆が暴れまわっていたかというと、幕府の混迷のせいなのである。 応仁の乱以降、幕府は弱体化…

戦国時代の京都について~その⑥ 町組はどのような組織で、どう機能していたのか?

このように外敵には結束して、事に当たった町衆だが、町や町組同士でも争うことがあったようだ。時期は違うがやはり同じ日記に、二条室町と押小路三条坊門との間で、何百人もが参加した合戦に近い大喧嘩があり、双方100人ほどの怪我人が出たことが記され…