根来戦記の世界

戦国期の根来衆に関するブログ

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2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その⑥ 日本人町と鎖国

東南アジア各地には、イスラム教徒や現地勢力が築いた小規模な王国が幾つかあったが、16世紀初頭からポルトガル人やスペイン人ら西欧勢が交易網の結節点に町を形成、こうした周辺の小王国を滅ぼして植民地化を進めていった。ポルトガルの拠点はマラッカで…

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その⑤ 東南アジアにおける日本人傭兵たち

サイヤ人ばりに戦闘能力が高かった戦国期の日本人は、傭兵としての需要も大きかった。最も有名なのは、タイの傭兵隊長・山田長政であるが、他にも例は幾らでもある。1579年にタイのアユタヤ王朝がビルマとラオス連合軍に侵略された際には、500人の日…

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その④ 海外に売られていった日本人奴隷(下)

アジアにおける奴隷貿易は、如何ほど儲かったのだろうか?1609年に人さらいに騙されて、マカオで船に乗せられ、マニラにて売りに出された中国人の少年少女たちの史料が残っている。それによると、誘拐犯からの仕入れ値は1人につき10パルダオ、マニラ…

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その③ 海外に売られていった日本人奴隷(上)

ここで一回、倭寇から離れて当時の日本人奴隷について見ていきたい。16世紀から17世紀にかけて、大勢の日本人が東南アジアのみならず、インドや中南米にまで移住している。パターンとしては、これまで見てきたように、まずは貿易に関わる商人として。次…

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その② 流れ流れて、幾千里。倭寇の親分になった「大夫様」

日本人が頭目であった倭寇集団もあった。最も有名なのがルソン島・カガヤンを縄張りとする「タイ・フーサ」として知られている日本人が率いていた倭寇集団である。1582年に、この倭寇集団とスペインとの間で「カガヤンの戦い」が行われている。 この「タ…

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その① 海賊王を目指した林鳳

後期倭寇の最盛期は1550年代だが、その数を減らしながらも活動自体は引き続き続いていく。これまで前期倭寇と後期倭寇を紹介してきたが、後期倭寇のうち万暦年間の始まり、1573年あたりからの倭寇を「第三期倭寇」と呼ぶ学者もいる。「晩期倭寇」と…

後期倭寇に参加した根来行人たち~その⑩ 史上最大の倭寇船団を率いた男・徐海と、日本人倭寇たち(下)

こうして全ての邪魔者を始末した徐海は、8月1日に手勢を率いて官憲に降伏する。はじめ胡宗憲はこれを手厚くもてなしたという。帰順した徐海一党には、適当な居留地が与えられることになり、8日に沈家荘という地に入る。東側に徐海一党が、川を挟んだ西側…

後期倭寇に参加した根来行人たち~その⑨ 史上最大の倭寇船団を率いた男・徐海と、日本人倭寇たち(中)

暴風でいきなりケチがついたとはいえ、依然もの凄い数である。何しろ最終的に浙江省を中心に暴れまわった倭寇の数は、2万と伝えられているのだ。いちどきに出航したわけではなく、幾つもの船団に別れ、三々五々日本を発ったので嵐に遭わずに済んだ船団もい…

後期倭寇に参加した根来行人たち~その⑧ 史上最大の倭寇船団を率いた男・徐海と、日本人倭寇たち(上)

これまでの記事にも何度か名前だけ登場したが、王直と並び立つほどの大物として、徐海という倭寇の親分がいる。若い頃、叔父の借金のカタに人質として豊前に住んでいた元僧侶で、日本では明山和尚と名乗っていた人物である。彼は実に評判が悪い男である。子…

後期倭寇に参加した根来行人たち~その⑦ 海雄・王直の死

さて、ここまで倭寇の大物プロデューサーの代表格として王直を紹介してきたが、実は彼は無実だったのではないか、という説がある。略奪をしたのは、あくまでも彼の元部下たちであって、彼自身は関わっていなかった、というものだ。 瀝港(れきこう)が陥落した…

後期倭寇に参加した根来行人たち~その⑥ 倭寇 vs 明の軍隊

倭寇はその主体が日本人だったり、中国人だったり、はたまたポルトガル人だったりしたわけだが、果たして彼らはどの程度、強かったのであろうか。「そりゃ、集団の性格と規模によるでしょ」という突っ込みは正しいのだが、それを言ってしまうと話が終わって…