根来戦記の世界

戦国期の根来衆に関するブログ

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秀吉の紀州侵攻と根来滅亡

中世に紀泉を中心に強大な勢力を誇った、根来寺。その滅亡の経緯を描く。

秀吉の紀州侵攻と根来滅亡~その⑧ 紀州征伐後、それぞれのその後

根来寺は炎に焼き尽くされた。太田城も陥落し、雑賀惣国も滅亡した。 根来寺の近くには粉河寺がある。根来ほど規模は大きくなかったが、同じように武装した僧兵たちによって運営されていた寺社勢力のひとつであった。この粉河寺も、根来寺が炎上したのとほぼ…

秀吉の紀州侵攻と根来滅亡~その⑦ 太田城陥落と中世の終わり

1585年4月5日前後に堤防が完成、早速紀ノ川の支流・宮井川(大門川上流をこう呼ぶ)の水を引き入れ始める。秀吉側にとって都合のいいことに、堤完成後にちょうど雨が降り始めたこともあって、あっという間に一面の満水となったらしい。その様は大海に…

秀吉の紀州侵攻と根来滅亡~その⑥ 太田城水攻め堤防

さてこの太田城だが、現在の和歌山駅のすぐ西側にあった。城内と推定される場所からは、日用品として使われた土器などが出土しており、生活の場であったと考えられている。古くからある環濠集落から、城に発展した城市だったのだろう。瓦なども出土している…

秀吉の紀州侵攻と根来滅亡~その⑤ 自壊する惣国

根来寺を侵略した同じ日、1585年3月23日には秀吉軍の先手が雑賀にも入っている。翌24日には、秀吉本隊も紀ノ川の右岸を進んで、土橋氏の本拠地である雑賀庄の粟村を占領した。居館を守るべき雑賀の者たちは、前日の夜にことごとく逃げ去ってしまっ…

秀吉の紀州侵攻と根来滅亡~その④ 根来炎上

近木川防衛ラインを、あっけなく突破されてしまった紀泉連合。そのまま南に軍を進めた秀吉軍は、23日には山を超えて根来寺に入った。風吹峠と桃坂峠、2つの峠を同時に越えて北から境内に侵入したと思われる。 この秀吉による根来寺侵攻の詳細を、隣の雑賀…

秀吉の紀州侵攻と根来滅亡〜その③ 紀泉連合の敗北と、防衛ラインの崩壊

千石堀城攻めとほぼ同じタイミング、もしくはそれよりやや早く、近木川ライン中央に位置する積繕寺城(しゃくぜんじじょう)も秀吉軍の攻撃にさらされている。 籠城兵力はよく分かっていないが、戦略上重要なこの城に兵力を集中させたのは間違いないところだ…

秀吉の紀州侵攻と根来滅亡~その② 千石堀城攻防戦

堺を通過して、和泉国を南下する秀吉軍。岸和田城まで来たら、近木川防衛ラインはすぐ目と鼻の先だ。軍の主力は21日の15時頃には岸和田城に到着、16時には千石堀城の目前まで迫っている。 秀吉軍は到着するや否や、千石堀城にいきなり攻めかかった。攻…

秀吉の紀州侵攻と根来滅亡~その① 近木川防衛ライン

※このシリーズでは「秀吉の紀州侵攻」、そして「中世根来寺の滅亡」を取り上げる。ここに至るまでの経緯は、下記リンク先「根来と雑賀」シリーズを参照のこと。 根来と雑賀 カテゴリーの記事一覧 - 根来戦記の世界 (hatenablog.com) 諸般の事情で延び延びに…