根来戦記の世界

戦国期の根来衆に関するブログ

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2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧

著作について~その④ 1巻の表紙を変える・完成しました! & 1巻と2巻を期間限定で0円で配布します!

遂に完成しました!根来戦記第1巻、「京の印地打ち」の新バージョンの表紙になります! 本文中にある、1シーンを再現してもらいました。5月5日の「節句の向かい礫」で次郎ら六条印地衆が、悪名高い白河印地衆と礫の打ち合いをしている場面になります。次…

後期倭寇に参加した根来行人たち~その⑤ 倭寇たちの略奪ツアーの行程

こうした倭寇の略奪船団はどの程度の規模で、どのようなルートを辿り、どう行動したのだろうか。典型的なパターンを見てみよう。 まず倭寇の親分たちが、南日本を中心とした各地で兵を募る。それぞれ懇意にしている地域(縄張り?)があったらしく、前述した…

後期倭寇に参加した根来行人たち~その④ 嘉靖(かせい)の大倭寇

さて、後期倭寇である。明が密貿易の本拠地である双嶼を撲滅させた。その結果、食えなくなった密貿易グループによる略奪が激化する、という逆効果をうむ。そして日本に居を移した王直や、若いころ大隅に住んでいた徐海を筆頭に、鄧文俊、林碧川、沈南山など…

後期倭寇に参加した根来行人たち~その③ 日本に本拠を置いた王直と、杉乃坊算長

双嶼が壊滅した時、王直はどうしていたのか?実は彼は、既に双嶼に見切りをつけていたらしく、1547年頃から日本の五島列島に拠点を移していた、という説がある。それによると王直は、本拠を双嶼に置いていなかったことを幸い、蘆七や沈九、陳思盻(ちんし…

後期倭寇に参加した根来行人たち~その② 双嶼壊滅と後期倭寇の始まり

双嶼の繁栄は長く続かなかった。先の記事で「略奪などはそんなには行っていなかった」と書いたが、それも1546年までのことだった。この年から翌47年にかけて、密貿易商の親分格であった、許棟兄弟が突如70余隻の船団を率いて、浙江省の沿岸地帯を襲…

著作について~その③ 1巻の表紙を変える・色入りの絵が上がってきました & 紐と袋を勘違い

色入りの絵が上がってきました! 徐々に、命が吹き込まれていく感がありますね。 帯の柄が素晴らしいです!特に考えもなく指定していなかったのですが、珍飯さんがデザインしたものを入れていただきました。お祭り用に誂えた感がしてピッタリです。この絵を…

後期倭寇に参加した根来行人たち~その① 密貿易ネットワーク

16世紀の中国沿岸。福建省・広東省・浙江省などでは、海運を使用した密貿易が盛んに行われていた。福建省に至っては、人口の9割が何らかの形で密貿易に関わっていた、とある。明代の中国には「郷紳」という、中央から派遣されてくる現役官僚と連携して、…

前期倭寇について~その③ 李氏朝鮮が払った代償と、三浦の乱

1443年に嘉吉条約が結ばれたことによって、前期倭寇は終息した。だが、この条約は李氏朝鮮にとっては高くつくものであった。例えば、対馬が貿易のために訪朝した際には、その滞在費、そして交易品の運搬費用は、全て朝鮮側の負担になった。交易品を運ぶ…

著作について~その② 1巻の表紙を変える・下書きがあがる

1巻のラフから、下書きが上がりました。とても難しい構図だと思うのですが、見事なものです。自分には絵心が全くないので、こんなに上手に絵を描ける人を、純粋に尊敬してしまいます。 次郎の斜め下に少年が座っていて、そこから見上げている視点になります…

前期倭寇について~その② 前期倭寇の終息

前期倭寇のピークは、1376年から1389年にかけての13年間である。朝鮮半島における記録を見てみると、それまでは年にひとケタ、多くて年に10回ほどであったのが、1376年に12回を数えた後、翌77年からは29回、22回、15回、17回と…

前期倭寇について~その① 前期倭寇の正体

倭寇と根来の行人。一見関係なさそうだが、意外にも少しあるのだ。このシリーズでは倭寇と根来行人とのかかわり、そして当時の国際的なネットワークについて見てみようと思う。 まず倭寇には「前期倭寇」と「後期倭寇」がある。なぜ2期に分かれているのかと…

著作について~その① 1巻の表紙を変える・ラフをお願いする

1巻「京の印地打ち」の表紙絵を変えようとしています。以前にお願いしていた絵師さんは、もう描かなくなったとのことで、1巻の表紙絵を2巻に描いていただいた「珍飯」さんに、お願いし直しているところです。 利用したのは、SUKIMAという仲介サービ…

白河印地党について~その③ 白河印地党と禁裏の砂

上杉本「洛中洛外図」において、御所はどのように描かれているのか?どうやらここでは正月の風景を描いているらしく、前庭において元日節会の行事である舞楽が行われている様子を見ることができる。そしてこの庭には、真っ白な砂が敷き詰められているのが分…

白河印地党について~その② 白河印地党の正体

何故に白河に、印地の党ができたのだろうか?実はよく分かっていない。以下は個人的な見解になるのだが、白河には平安期、法勝寺を代表とする六勝寺が建てられていた。200年余りで廃れてしまい、今は跡形も残っていないが、白河期に建てられたこれらの寺…

白河印地党について~その① 印地のエリート白河印地

拙著「京の印地打ち」で登場する白河印地衆。作中では、強烈な個性を持つ悪党の集団として描いている。この白河印地、軍記物である「義経記」に出てくる集団だ。「義経記」は平安末期が舞台である。この物語の中で、義経を助ける偉大な印地打ちとして「鬼一…