2022-12-01から1ヶ月間の記事一覧
堺を通過して、和泉国を南下する秀吉軍。岸和田城まで来たら、近木川防衛ラインはすぐ目と鼻の先だ。軍の主力は21日の15時頃には岸和田城に到着、16時には千石堀城の目前まで迫っている。 秀吉軍は到着するや否や、千石堀城にいきなり攻めかかった。攻…
※このシリーズでは「秀吉の紀州侵攻」、そして「中世根来寺の滅亡」を取り上げる。ここに至るまでの経緯は、下記リンク先「根来と雑賀」シリーズを参照のこと。 諸般の事情で延び延びになっていた、紀州征伐。だが秀吉は、1585年に遂に紀州に対する本格…
85年3月、信雄の秀吉派三家老粛清を機に、羽柴と織田&徳川の両陣営は臨戦態勢に入った。領地の大きさでは秀吉に比するべくもない織田&徳川は、紀泉連合との連携を試みる。 話は飛ぶが根来滅亡後、生き残った根来衆の一部は「根来組」として家康に召し抱…
本能寺にて信長、横死す――この報せは、あっと言う間に雑賀に伝わった。 先の政変で壊滅的な打撃を受けていた土橋派は、しかし未だ強い勢力を保持していたようで、この報せを受け即座に決起する。まず4か月前のクーデターで、土橋若太夫を裏切った土橋兵太夫…
先の信長の雑賀攻めにて、侵入者を惣国内に引き入れた宮郷・中郷・南郷の三組。ところが思惑と異なり、信長は大した戦果のないまま兵を引き上げてしまう。梯子を外されてしまった格好のこの三組に対して、十ケ郷・雑賀庄の二組が巻き返しを狙う。 1557年…
山手から攻め寄せる織田軍3万は、佐久間・羽柴・堀・荒木・別所らの諸軍で構成されていた。その先頭に立つのは杉乃坊、そして雑賀三郷の者どもだ。 この山手勢は雄ノ山峠を越え、田井ノ瀬で紀ノ川を渡河し、焼き討ちと略奪を重ねながら、2月24日頃には小…