根来戦記の世界

戦国期の根来衆に関するブログ

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ブログ主の歴史旅行記

ブログ主の歴史旅行、いろいろ

旅行記~その⑱ 北陸旅行記・五箇山 その厳しい共同生活

江戸期の五箇山の生活は、相当厳しいものでした。 そもそも五箇山は、深い峡谷沿いに点在する集落の集合体です。まとまった平地がほとんどなく、稲作ができません。猫の額ほどの耕作可能な土地で作られていたのは、主に粟・稗などの雑穀類でした。 この辺り…

旅行記~その⑰ 北陸旅行記・流刑地だった秘境・五箇山

春日山城の旅行記だけで8記事になってしまいした・・・城そのものの紹介というよりも、「苧麻」と「御館の乱」についての内容でしたが。 しかし、まだ旅行記は続くのです。もう少しだけお付き合いいただければ。 本当はこの後、糸魚川のヒスイ海岸に行って…

旅行記~その⑯ 北陸旅行記 「御館の乱」終焉も、深い傷を負った上杉家

北条勢による坂戸城攻略は失敗し、成すことなく関東に軍を返してしまいます。景虎にしてみれば、これで来年の雪解けまでは援軍の期待はできなくなったのです。状況はようやくにして、景勝に有利になりました。 10月24日、勢いに乗った景勝勢は春日山城か…

旅行記~その⑮ 北陸旅行記 春日山城での死闘と、形勢逆転を狙う景勝

御館(おたて)において6000の兵を集めた景虎。一方の景勝は城を占拠したはいいものの多勢に無勢、撃って出ることができません。 5月17日、景虎勢は遂に春日山城に向けて進撃を始めます。大将である桃井伊豆守率いる軍勢は全く抵抗を受けることなく、…

旅行記~その⑭ 北陸旅行記 景勝 vs 景虎 それぞれについた上杉家中らの思惑

1578年5月、ついに両者の間で戦端が開かれます。上杉家は景勝派と景虎派に真っ二つに割れ、国中で争い始めたのでした。 上杉家中の武将たちや越後の国衆らは、何を拠り所にしてそれぞれの陣営に味方したのでしょうか。双方の陣容を見てみましょう。 ま…

旅行記~その⑬ 北陸旅行記 上杉氏の居城・春日山城 「御館の乱」が勃発した理由とは?

1578年3月9日に倒れた謙信は、意識が戻らないまま4日後の13日に死亡してしまいました。謙信は前年の9月23日に「手取川の戦い」で織田家の北陸方面軍を率いる柴田勝家を撃破しています。今年は雪解けを待って新たに軍を起こし、上洛ないしは関東…

旅行記~その⑫ 北陸旅行記 上杉氏の居城・春日山城 謙信が考えていた、後継ぎ構想とは?

北条家が無断で武田家と和睦したことを聞いた謙信は激怒、氏政に手切れの一礼を送りつけました。 その怒りたるや凄まじく、同盟破棄の5年後の1576年のことになりますが、将軍・足利義昭が(彼の生きがいである)第三次信長包囲網を更に強化するために、…

旅行記~その⑪ 北陸旅行記 上杉氏の居城・春日山城 機能せず短命に終わった「越相同盟」

1569年6月に結ばれた、上杉・北条両家による「越相同盟」。これに伴い、翌70年に北条三郎は越後入りします。以後、三郎は上杉景虎として春日山城・三の丸に屋敷を構え、謙信の後継者として遇されることになります。 ブログ主撮影、春日山城・三の丸。…

旅行記~その⑩ 北陸旅行記 上杉氏の居城・春日山城 上杉家のお家騒動「御館(おたて)の乱」に至るまで

リアルが忙しく、なかなか更新できなくなってしまいました。いましばらく旅行記が続くので、お付き合いいただければ。話を春日山城に戻します。 登城ルートを辿っていくと、本城部分に到達します。まずは三の丸です。三の丸→二の丸→本丸と段々畑のような配置…

旅行記~その⑨ 北陸旅行記 上杉氏の居城・春日山城と苧麻(下)

前記事で少し触れましたが、謙信は1559年に上洛した際、皇室・公家・幕府要人に特産品である「越布」を惜しげもなく配りまくっています。商品価値を高めるためのプロモーションを兼ねていたという説もあり、越布のいい宣伝になったものと思われます。 そ…

旅行記~その⑧ 北陸旅行記 上杉氏の居城・春日山城と苧麻(上)

この猛暑の中、先日(2025年8月中旬)北陸に旅行に行ってきました。東京から新幹線で上越市に入り、現地でレンタカーを借りての旅行です。幾つか趣深い史跡を回れたので、紹介したいと思います。 まずは第一回、春日山城になります。上杉家の居城であり…

旅行記~その⑦ 長篠の戦い 丸山砦と馬場信春

この戦いにおける武田方の戦死者は、1万とも数千とも言われていますが、甚大な被害を被ったことは間違いありません。これまで武田家を支えていた多くの重臣たち――馬場信春、山形昌県、内藤昌秀、原昌胤、真田信綱・昌輝兄弟らが軒並み戦死してしまいました…

旅行記~その⑥ 長篠の戦い 設楽原古戦場へ(下) 

21日の日の出と共に、勝頼は攻撃命令を下します。武田方の主力は左翼にいた山県昌景・原昌胤・内藤昌秀・小山田信茂らが率いる精鋭部隊でした。徳川方は右翼に位置していたので、もろにその猛攻を受けます。 武田氏の戦闘スキルは、戦国最強といってもいい…

旅行記~その⑤ 長篠の戦い 設楽原古戦場へ(上)

陥落寸前の城を救うため、織田・徳川連合軍3万8000が長篠に急行します。5月18日には設楽郷に到着、信長は極楽寺山裏に本陣を構えました。家康が布陣したのはやや前方にある高松山(弾正山とも)です。翌19日から、有名な馬防柵の建設が始まってい…

旅行記~その④ 長篠の戦い 長篠城と鳥居強右衛門

1575年4月から本格的にはじまった、今回の勝頼の遠征の目的は「クーデターに乗じて岡崎城を占領する」というものでした。もし成功していたら、徳川家を滅ぼせたかもしれないレベルの大戦果でしたが、それが失敗した今、勝頼としては手ぶらで帰るわけに…

旅行記~その③ 長篠の戦い 「設楽原歴史資料館」を見学

半年ほど前のことになりますが、息子と2人、長篠城と設楽原古戦場に行ってまいりました。今更ですが、その時の内容を紹介したいと思います。 その前に、「長篠の戦い」についての基礎知識を。武田氏に関しては近年、平山優氏をはじめ、黒田基樹氏、丸山和洋…

旅行記~その② ドイツ・フルダの「18世紀への時間の旅」イベント(下)

城の横庭にあるイベント会場に入ると、ご覧の通り天幕がズラリ。 広い敷地の中にざっと数えただけでも、50以上の天幕がありました。 これらの天幕は何なのかというと、このイベントにコスプレで参加している人たちのテントなのです。この時にあった説明に…

旅行記~その① ドイツ・フルダの「18世紀への時間の旅」イベント(上)

シリーズの途中に流れをぶった切る形になりますが・・・とある珍しいイベントを見学してきたので、そのご紹介を。 長い夏休みを取って、ドイツに行ってまいりました。ドイツでは親類の家に居候、ローカルな生活を楽しみました。フランクフルトから車で1~2…