根来戦記の世界

戦国期の根来衆に関するブログ

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2022-10-01から1ヶ月間の記事一覧

根来衆と鉄砲~その⑦ 鉄製大砲の鋳造に成功した、凄腕の職人・増田安次郎

戦国から、いきなり幕末の話になってしまった・・・すぐに話が逸れるのが、著者の悪い癖である。この記事では本筋と少し離れて、その後の日本の鉄砲と、特に大砲の技術的変遷について述べてみたいと思う。 江戸期に入ると幕府によって鉄砲と大砲の生産は規制…

根来衆と鉄砲~その⑥ 難航した大砲の国産化と、その理由

鉄砲に比べ、大砲の国産化の方は難航している。大友氏が小型青銅砲の製造を行っていたようだが、銅はとにかく高価であったから、製造コストが非常に高くつく。代わりに安価な鉄で大砲を鋳造する、というのが世界的な代替手段なわけだが、日本においては難し…

根来衆と鉄砲~その⑤ そして鉄砲大国へ・・・日本に鉄砲は何丁あったのか?

日本人はあっという間に鉄砲の生産技術を習得、世界有数の鉄砲保有国になってしまう。戦国期の日本は、どれくらい鉄砲を有していたのだろうか? もちろん統計なぞないから、推測するしかない。まず時代が経てば経つほど鉄砲普及率は上がっていくはずだ。戦国…

根来衆と鉄砲~その④ 火縄銃の国産化と、その運用を支えた貿易体制

複数のルートで、日本各地に伝播した火縄銃。前記事でも触れた通り、日本の鍛冶屋は日本刀によって培われた鍛鉄技術に秀でていたから、すぐに技術を習得、各地で鉄砲生産が始まった。国産の第一号が造られたのは、種子島である。関の出身であった鍛冶師・八…

根来衆と鉄砲~その③ 薩摩の海賊に奪われた鉄砲の謎と、とっぽどん殺人事件

明が残した記録に、非常に興味深い内容のものがある。前回の記事で、薩摩からの船が捕まった話を紹介したが、その1か月後の48年4月に別の密貿易業者・方三橋という男の船が、同じように双嶼付近で明軍に捕まっているのだ。 その記録によると、押収したこ…

根来衆と鉄砲~その② 鉄砲は日本にいつ、どこに伝来したのか

鉄砲は日本にいつ、どこに伝来したのか。 一般にも知られている鉄砲伝来のストーリーとしては、1542年、ないし43年に種子島に到着した中国人倭寇、王直の船に乗っていたポルトガル商人から、当主の種子島時堯(ときたか)が鉄砲を入手。うち1丁が津田監…

根来衆と鉄砲~その① 鉄砲と大砲 その開発の歴史

根来と言えば、隣の雑賀と並んで鉄砲隊が有名である。戦国期に根来寺がここまで勢力を伸ばせたのは、間違いなくこの新兵器の威力によるものが大きい。このシリーズでは、根来衆と鉄砲に関わる歴史を見ていこうと思う。 そもそも鉄砲、とは何か。辞典には「銃…

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その⑨ 倭寇による国造り・台湾王国樹立とその滅亡

オランダ勢力を駆逐して、台湾を手に入れた鄭成功はさらに南方、スペイン人の占領するフィリピンに目を向ける。彼の旗下にいたイタリア人修道士をマニラに遣わし貢納を要求した、という記録が残っている。これは現地のスペイン人に、ちょっとした恐慌を巻き…

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その⑧ 倭寇vsオランダ ゼーランディア城攻防戦

当時の台湾はオランダの勢力下にあった。その拠点は台南のゼーランディア城にあり、支城として近くにプロヴィンシア城があった。鄭芝龍が明の高官であった30年~40年ほど前、鄭一族とオランダは矛を交えた時期もあったが、概ね商売上のよき取引相手であ…

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その⑦ 倭寇から明の忠臣になった男・鄭成功

長きに渡って倭寇を紹介してきたこのシリーズも、ようやく終わりに近づいてきた。最後はトリを飾るのに相応しい男の登場である。 1625年。鄭芝龍という男がいた。福建省出身の彼は、故郷の閩南(びんなん)語の他、南京官話、ポルトガル語、オランダ語など…