根来戦記の世界

戦国期の根来衆に関するブログ

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2023-01-01から1年間の記事一覧

旅行記~その④ 長篠の戦い 長篠城と鳥居強右衛門

1575年4月から本格的にはじまった、今回の勝頼の遠征の目的は「クーデターに乗じて岡崎城を占領する」というものでした。もし成功していたら、徳川家を滅ぼせたかもしれないレベルの大戦果でしたが、それが失敗した今、勝頼としては手ぶらで帰るわけに…

旅行記~その③ 長篠の戦い 「設楽原歴史資料館」を見学

半年ほど前のことになりますが、息子と2人、長篠城と設楽原古戦場に行ってまいりました。今更ですが、その時の内容を紹介したいと思います。 その前に、「長篠の戦い」についての基礎知識を。武田氏に関しては近年、平山優氏をはじめ、黒田基樹氏、丸山和洋…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑮ 近世の鳥羽車借 その栄光と終わり

室町期の往来物に「大津坂本馬借・鳥羽白河車借」と謡われた、中世の運送業者たち。江戸期に入って坂本馬借は衰退し、大津馬借は繁栄する。白河車借は既にない。最後のひとつ、鳥羽車借はどうなったのだろうか? 鳥羽車借の全盛期は、織豊期から江戸初期にか…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑭ 江戸期にたてられた「日本海~琵琶湖運河」開削計画

前回に引き続き、記事の内容がなんだか「馬借・車借」というメインテーマからは、若干外れた内容になってしまっているような気がするが、ご容赦を・・・ さて河村瑞賢による「西廻り航路」開拓により、これまでより遥かに効率的かつ大々的に、米を運べること…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑬ 河村瑞賢の「西廻り航路」により、激変した米の流通ルート

江戸初期の豪商に、河村瑞賢という人がいる――彼は凄い男なのである。南伊勢の、さほど豊かではない農家の長男に生まれるが、13歳で江戸に出ている(跡継ぎのはずなのだが、江戸に出てきた理由ははっきりしていない)。江戸では、まずは車力になったそうで…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑫ 全盛期を迎える大津馬借、小遣い稼ぎをする坂本馬借

前記事で述べたような理由で、大津馬借はそれなりの規模を持つ馬借集団として、江戸期も存続し続ける。彼らは京津街道の物流の担い手となるのだ。なおこのルートの物流の担い手として、他にも伏見の車借らがあげられる。1704年には京津街道を行き交う荷…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑪ 牙を抜かれた馬借たち 発展する大津、廃れる坂本 

戦国が終わり、世の中は織豊政権による中央集権体制となる。天下が完全に鎮まるまでは、「関ヶ原」や「大阪の陣」など、まだ幾つかの大戦を経なければならなかったが、少なくともこれまで各地で多発していたような、小勢力同士の泥沼の小競り合いはなくなっ…

中世の運送業者・馬借と車借~~その⑩ 鳥羽車借の京への運搬ルート

京へ続く三大街道は、京津街道・竹田街道、そして鳥羽街道である。この三街道は、戦国期には日本最大の人口を抱える大都市・京へと続く、物流の大動脈であった。うち鳥羽街道は、巨椋池に荷揚げされる米などの運搬によく使用されていたのは、先の記事で見た…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑨ 車借の二大拠点・鳥羽と白河(下) 京の物流を支え続けた鳥羽車借

早くに衰退してしまった白河車借に比して、鳥羽車借はなんと明治まで続いている。両者の違いは何であったのだろうか? 六勝寺と同じように、廃れてしまったのは鳥羽離宮も同じなのだが、鳥羽には大きな利点がひとつあった。灌漑によって埋められてしまって、…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑧ 車借の二大拠点・鳥羽と白河(上) 白河車借の興隆と衰退

車借の二大拠点といえば、鳥羽と白河である。細かく見ていけば、小規模な車借拠点は各地にあるのだが、ここまで大規模なのはこの2か所だけだ。鳥羽と白河において、なぜここまで車借が発展したのだろうか? そもそも効率的には、馬の背に乗せて物を運ぶより…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑦ 牛車で米を運送した車借たち

小荷駄で荷を運ぶ「馬借」に対して、牛に車を曳かせて運搬する業者のことを「車借」と呼んだ。有名なのが「白河車借」、そして拙著にも出てくる「鳥羽車借」である。 坂本の馬借の起源が「馬の衆」といわれる、日吉社の神人たちだったとすると、車借の起源は…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑥ 土一揆に参加して暴れはするが、それはそれとして強訴の動員にも応じる馬借たち

さて前記事で見たように、1428年9月18日の馬借蜂起を契機とし「正長の土一揆」が発生したわけだが、実はその1か月前の8月に近江国において、徳政(借銭棒引き)が行われていたことが複数の記録に残っている。 近江国におけるこのケースだが、そもそ…

中世の運送業者・馬借と車借~その⑤ 「敵は北野社にあり」 土一揆のきっかけは、馬借たちによる「麹騒動」

さて1428年に、日本史上初の大規模な土一揆・「正長の土一揆」が発生する。清水克行氏はその著作「室町社会の騒擾と秩序」において、そもそもこの土一揆が発生したきっかけは、叡山と北野社の勢力争いがあったのではないか、と推測している。 「天神さん…

中世の運送業者・馬借と車借~その④ 「強訴の尖兵」馬借たち その行動原理

叡山にしてみれば「強訴の尖兵」という暴力装置として、大変に利用価値があった馬借たちであったが、しかし彼らは必ずしも山門に絶対的に忠実な存在だったわけではない。「命令されたから暴れる」わけではなく、彼らなりの「暴れる理由」があり、その要求を…

中世の運送業者・馬借と車借~その③ 土一揆の主力を成した馬借たち

1603年にイエズス会宣教師らが作成した、日本語をポルトガル語に訳した「日葡(にっぽ)辞書」というものがある。キリスト教を布教するためのツールとして、宣教師らが作成したものだ。 当時の日本には、もちろん「百科事典」といったものが存在しなかっ…

中世の運送業者・馬借と車借~その② 坂本の馬借 その前身は「馬の衆」か

馬借に関する直接的な史料が残っているのは、前記事で述べた「浦・山内馬借」に関するものであるが、「存在感の有無」という形で最も有名なのは、やはり「坂本の馬借」である。 坂本そして大津の町は琵琶湖畔にあり、湖運を通じて多くの物資がこの港町に集ま…

中世の運送業者・馬借と車借~その① 運送業から商人へ

日本の陸上運送の主力は、江戸時代までは馬である。地形が険しく道の狭い日本においては、馬の背に荷物を括りつけて運ぶ、小荷駄が発達した。中世において、このように馬を使って荷を運ぶ運送業者のことを「馬借」という。 馬借・車借という職能の設立はそこ…

非人について~その⑮ 「非人に近い扱い」をされていた職能民たち

このシリーズの始めのほうの記事で、非人には「狭義の非人と広義の非人」がいると紹介した。しかしこれまた時期と地域によるのだが、「非人に近い扱い」をされていた職能民というものが数多くいたようだ。 以前紹介した「狭義・広義」の非人の定義づけは、あ…

非人について~その⑭ 京の声聞師たち・中世のカルト教団「彼の法(かのほう)」集団

この「通夜参籠の術」のギミックは、拙著1巻でも使わせてもらっている。(以降ネタバレになるので、先を読む方は注意)。 主人公の義姉に対して、種付けをした声聞師らがいる。淀君に対して種付けを行った者らと、同じ党であるという設定である。その党の名…

非人について~その⑬ 京の声聞師たち・通夜参籠(つやさんろう)の術(下) 淀君の暴走と秀吉の葛藤、そして秀次の死

先の記事で少し触れたが、声聞師たちは秀吉によって弾圧を受けている。1594年、堺で10人、大阪で8人、そして京都で109人の声聞師たちが、尾張に強制移住させられているのだ。 この奇妙な事件を、これまでの史学会ではどう説明していたのか?声聞師…

非人について~その⑫ 京の声聞師たち・通夜参籠(つやさんろう)の術(上)秀頼は誰の子か?

話が唐突にそれるのだが、秀頼は秀吉の実子ではない・・・というのは「現代医学的には」間違いのないところらしい。幾つかのデータを現代医学の知見から見てみよう。 服部英雄氏の著作「河原ノ者・非人・秀吉」によると、好色な秀吉が生涯に愛した女性の数は…

非人について~その⑪ 京の声聞師たち・秀吉による追放令――豊臣家の大スキャンダル

先の記事で、戦乱の世を乗り越えられなかった声聞師集団として「小犬党」を紹介した。こうした党は他にもあって、室町期の記録にはあるが、戦国期の記録には出てこない党として「柳原党」「犬若党」「蝶阿党」などがある。 まず「柳原党」だが、これは比較的…

非人について~その⑩ 京の声聞師たち・室町の一世を風靡した芸能集団・「小犬党」

先の記事で、応仁の乱を境に声聞師集団のパワーバランスが変化した可能性がある、と書いた。室町期に見られた幾つかの党が、戦国期の記録には見られなくなるのだ。 室町期に存在した有名な声聞師集団に「小犬党」がある。 相国寺の西、柳原に居住していたと…

非人について~その⑨ 京の声聞師たち・声聞師大黒党と大左義長

京の声聞師集団は、正月の4日・5日の両日に禁裏、7日には将軍邸を訪れ、そこで中世のミュージカルである「曲舞(くせまい)」を披露して正月を祝った、と当時の記録にある。この行事を「千秋万歳(せんずまんさい)」と呼ぶ。 まず4日に行われる「千秋万…

非人について~その⑧ 京の声聞師たち・彼らを仕切っていた組織

大道芸で食っていた声聞師たちであるが、それぞれが勝手気ままに町中を徘徊し、芸を行っていたわけではない。混乱や争いを避けるために、彼らなりの仕来りがあり、縄張りもあっただろう。つまり彼らを仕切っていた組織があった、ということである。 こうした…

非人について~その⑦ 京の声聞師たち・芸能の民

拙著1巻「京の印地打ち」に登場する「大黒印地衆」は「声聞師(しょもじ)」たちから成る印地集団である。声聞師とは「広義の非人」の中に分類された職能のひとつで、民間で芸能ごとを行っていた人々である。安倍晴明で有名な陰陽師の系譜を引く、という触…

非人について~その⑥ 非人たちの既得権益「得分」とは

当時の被差別民が携わっていた職能は多岐に渡っていたように見えるが、基本的には全てキヨメに関わるもの、ないしはそこから派生したものであった。過去の記事で「千本河原者」がキヨメの仕事に参入してきた「一本杉河原者」に対して、北野社に訴えを起こし…

非人について~その⑤ 清水坂vs奈良坂 非人宿同士の三十年戦争(下) 清水坂の逆襲

先の記事で紹介した騒動から10年ほどたった1224年、清水坂で大きな動きが起きる。奈良坂の後ろ盾で復権したAが、何とその支配からの脱却を狙ったのだ。奈良坂からの入り婿であった淡路法師をはじめとする、吉野・伊賀・越前法師ら、奈良坂派の長吏ら…

非人について~その④ 清水坂vs奈良坂 非人宿同士の三十年戦争(上) 清水坂を占領した奈良坂

犬神人は清水坂宿に所属していた非人である。その清水坂宿は、近江から瀬戸内にかけて存在する、数多の非人宿を支配下に置く、いわゆる「本宿」であった。 だがこの清水坂宿と並ぶ、強力な対抗勢力がもうひとつあった。奈良は興福寺の近くにあった、奈良坂宿…

旅行記~その② ドイツ・フルダの「18世紀への時間の旅」イベント(下)

城の横庭にあるイベント会場に入ると、ご覧の通り天幕がズラリ。 広い敷地の中にざっと数えただけでも、50以上の天幕がありました。 これらの天幕は何なのかというと、このイベントにコスプレで参加している人たちのテントなのです。この時にあった説明に…