根来戦記の世界

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中世の運送業者・馬借と車借~その⑦ 牛車で米を運送した車借たち

 小荷駄で荷を運ぶ「馬借」に対して、牛に車を曳かせて運搬する業者のことを「車借」と呼んだ。有名なのが「白河車借」、そして拙著にも出てくる「鳥羽車借」である。

 坂本の馬借の起源が「馬の衆」といわれる、日吉社の神人たちだったとすると、車借の起源は何なのだろう。牛に車を曳かせる、という点から考えると、真っ先に頭に浮かぶのは、平安期の貴族の乗り物・牛車である。

 平安貴族たちは、牛車を誰に曳かせたのだろうか?この時代においては、「牛追い童」という職能民がこの役割を果たしていた。平安期は「職能」というものがようやく機能してきた時代である。平安初期の「牛追い童」には「官庁に属していた者」と「寺社や貴族の家に属していた者」の2種類いたそうだが、時代が下るにつれ前者は姿を消し、後者がメインとなっていったようだ。後者の職能民たちは、寺社や貴族の家に「家司」として、仕えていたことになる。

 「源平盛衰記」という軍記物に、面白い記述がある。平家一族の重鎮・平宗盛に、かつて仕えていた牛追い童がいた。この童は主人である宗盛にとてもよくしてもらっていたらしく、喜んで仕えていた。ところが平家一族が都落ちし、代わりに木曾義仲がやってきた。

 彼ら職能民は貴族の家に隷属していた存在だったから、いわば一種の私有財産である。件の童も牛車ごと、新しい主人である義仲のものとなったものと思われる。しかしこの牛追い童は、新しい主人である義仲のことが気に入らなかった。粗暴な田舎者だし、なにより敬愛する主人の敵であった男である。

 ある日、義仲が初めて牛車に乗る日がやってきた。「宗盛さまの仇をとってやろう」そう考えた童は、牛の尻に思い切り鞭をあてたのである。牛は飛び跳ねるようにして走り出し、車の中にいた義仲は思い切り引っくり返ってしまう。車の中で転げまわった義仲は、両手両足を突っ張って必死に体を支えつつ「やれ、牛こでい、牛こでい、やれやれやれ!」と叫んだ。要するに「おい、牛飼童!おい、おい!」と呼びかけたのである。

 しかし牛車は止まらない。御供の者どもを振り切って、なんと七町(約764m)も暴走した挙句、ようやく止まったのであった。ようやく追いついた供侍に怒られた牛飼童は「やれ、やれ、と仰るので、初めて車に乗り、興が乗ったので『車をやれ』と言われているかと思ったので、走らせたのでございます」と悪びれずに答えた――とある。

 このエピソード自体は本当にあったこととは思えないが、ありそうな面白話として成立するくらいには、真実味のある話であったと思われる。当時の牛車の構造上、ショックアブソーバーがないので、走り出すと乗り心地は最悪なのである。

 

「年中行事絵巻」より。「暴走する牛車」は、各種絵巻物ではよく取り上げられるモチーフである。櫻井芳昭氏の著作「牛車」によると、「年中行事絵巻」において牛車は合計85輌描かれているが、うち13輌が暴走する牛車であるとのことである。実際のところ牛は臆病な動物なので、驚くとよく暴走したのだ。なお牛車には乗り降りにもルールがあったようで、初めて牛車に乗る義仲に、従者たちが「牛車は後から乗って、前から降りる」決まりを教えている。これはなぜかというと、乗る際には車の後ろを建物の軒下に寄せて、縁側から直接、乗り込むからである。こうすれば地面に降りなくてもすむのだ。つまり建物に車を寄せるわけで、これが「車寄せ」の語源なのである。だが義仲は言うことを聞かずに「後ろから乗って、後ろから降りて」しまうのだ。先に紹介したエピソードと併せて、京の人が義仲のような田舎者を嗤っている様子が伝わってくる。

 このようにスピードを出すと中の人は酷い目にあうので、平安期の貴族たちはゆっくり車を曳かせたわけだが、慣れていない者が乗ると、ゆっくり行っても酔ってしまったらしい。

 「今昔物語」にも、武勇において人後に落ちない侍であった「頼光四天王」のうち3人が、乗りなれない牛車を使って賀茂の祭りを見学しに出かけたものの、車酔いして酷い目にあった、というエピソードが紹介されている。

 よりにもよって仕立てた牛車は女性用のものだったから、外に出るわけにもいかない。祭りの間中ずっと、男3人がげえげえ吐いている音が牛車の中から聞こえてきたので、見物人たちの好奇の目にさらされた、とある。

 ちなみにこの車酔いした3人のうちひとりは坂田金時、あの「マサカリ担いだ、足柄山の金太郎」である。馬どころか、幼少期から熊?に跨っていた彼でさえも、牛車には酔ってしまったのである。

 さて牛車を御する彼ら牛飼い童であるが、本業の主人の仕事がないときは、アルバイトとして運搬の仕事を請け負っていたらしい。これこそが車借の原型であると思われる。職種としての車借が成立するのは、11世紀に入ってからのようだ。過去の記事で紹介した「新猿楽記」に出てくる津守持行が、その走りである。(続く)