根来戦記の世界

戦国期の根来衆に関するブログ

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2022-07-01から1ヶ月間の記事一覧

印地について~その⑥ 日本近世~近代編

天下統一が成り、戦乱の世も終わった。独立色の強かった様々な集団は、あらかた潰されるか、権益を取り上げられ幕藩体制という新しい仕組みの中に再編されていった。平和と秩序の時代の到来である。 発生するたびに死者が出る向かい礫など、お上にとっては百…

印地について~その⑤ 日本中世編(下)

さて節句の向かい礫である。京には大小の祭りはたくさんあるが、時代が下るにつれ「祭礼飛礫」は正月と節句、この2つの祭りに集約していったようだ。 拙著「京の印地打ち」では節句の向かい礫は、加茂川を挟んで行われていたように書いたが、実際にはみやこ…

印地について~その④ 日本中世編(上)

鎌倉期に入り、武士たちの時代が始まる。しかし西日本はまだ、概ね朝廷の支配下にあった。東の武士政権、西の王朝政権である。(「2つの王権」論に基づく。これに対する考え方に、「権門体制」論がある) 朝廷のお膝元、京においては、寺社勢力による「強訴…

根来寺の行人たち~その⑧ 出入りの掟

頻繁に起きていた境内での出入りだが、争いがエスカレートしないよう、守るべきルールがあったことが判明している。これを「根来寺之法度(はっと)」という。これまでに紹介した、慶誓が参加した2つの出入りを読んで気づいたことはないだろうか?そう、武器…

根来寺の行人たち~その⑦ どこの谷にあるのか、系列はどこなのか

根来の四院――泉識坊・岩室坊・閼伽井坊・杉乃坊のこれら有力子院は、大きな経済力と軍事力を持っていた。こうした力のある子院は、まるで企業が子会社を作るように、系列の子院を増やしていく。例えば泉識坊系列の子院として、愛染院や福宝院などの名が挙げ…

根来寺の行人たち~その⑥ 1556年、跡式の出入り

もう1つ、違う出入りを紹介したい。やはり同じ慶誓が参加した「跡式の出入り」だ。先の「山分けの出入り」からわずか1年後、1556年に発生した出入りである。 それにしても、慶誓が参加していない出入りもあったはずなので、こうした戦いが常時、境内に…

根来寺の行人たち~その⑤ 1555年、山分けの出入り

以前の記事で少し述べたが、根来の行人方子院の間では、内輪もめが絶えなかった。内輪もめといっても、喧嘩レベルの話ではない。死傷者が何人も出る合戦レベルの戦いを、境内において繰り広げていたことが分かっている。 これを「出入り」という。 佐武源左…

根来寺の行人たち~その④ 行人たちの実態

行人たち――僧兵でもあった彼らは、どんな生活をしていたのだろうか。まずは見た目から。これに関してはフロイスの記録が詳しい。該当部分を引用してみよう。 「彼らは絹の着物を着用して、世俗の兵士のように振る舞い、富裕であり立派な金飾りの両刀を差して…

根来寺の行人たち~その③ 台頭する行人たち

ともあれ、地域の土豪らを吸収して強大化した根来寺。根来に属した行人方子院たちは、外部に対しても盛んに侵略を行うようになる。 経済的な侵略方法としては、加地子(かじし)得分(とくぶん)(年貢以外の余剰収穫分のこと。場所によっては年貢の数倍~数十倍…

根来寺の行人たち~その② 土豪と行人方子院

多くの戦国大名の成立過程というものは、概ね以下のようなものだ。 ①守護や守護代、国衆の中から、力がある家が台頭してくる。 ②周辺の国衆を滅ぼすか、傘下に入れるかなどして、その国を統一する。 ③独立性の強い国内勢力を粛清、再編成しつつ他国へ侵攻す…

根来寺の行人たち~その① 行人とは

紀州根来寺は、現在の和歌山県岩出石市に今もある、新義真言宗の総本山である。開祖は覚鑁上人。「根来寺」という名の寺は中世からあったが(古くからその地にあった豊福寺が、根来寺と呼ばれるようになっていた)、当時の人々の概念としては、そこに集まっ…

印地について~その③ 日本古代編

まずは印地の語源について。「石打ち」から転化して「いんぢ」となり、それに後から漢字をあてたものらしい。「印地」のほか「印字」「因地」「伊牟地」とも記される。 既に弥生時代前期の遺跡から礫が出土している。石製ないし土製のものだ。古来よりずっと…

印地について~その② 戦場におけるスリングの弱点

武器としてこんな素晴らしいスリングだが、古代から中世にかけて戦場からは徐々に姿を消してしまう。理由はいくつかある。 まずは金属製の鎧と盾の普及。スリンガーたちも石弾を紡錘形に成形したり、より重い鉛弾を使ったりするなどして、攻撃力を上げる工夫…

印地について~その① スリンガーたち

「印地」とは一言でいうと石投げのことである。石を投げる行為だけでなく、それを含む日本特有の文化・技術・行事を指す。この章は「印地」ではなく、まずは「石投げ」について取り上げる。 「石投げ」は世界各国で最も原始的な遠戦手段として使われてきた。…