根来戦記の世界

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印地について~その① スリンガーたち

 「印地」とは一言でいうと石投げのことである。石を投げる行為だけでなく、それを含む日本特有の文化・技術・行事を指す。この章は「印地」ではなく、まずは「石投げ」について取り上げる。

 「石投げ」は世界各国で最も原始的な遠戦手段として使われてきた。材料はその辺りに転がっている石。持って投げるだけ。ローコストで手軽。遠距離攻撃。使わない手はない。

 より殺傷力の高い弓矢が発明されると、必然的に石投げは廃れた・・わけでもなく、並行して使われ続けた。何故かというと、素手で投げるだけではなく、投石器(スリング)という石投げのための道具が既に発明され、使用されていたからだ。

 スリングの材質は主には革や布だが、動物の毛や麻を編んだものでも大丈夫。構造も簡単で、長さ60cm~ほどの紐の中央に「石受け」として膨らみを持たせ、そこに石を入れ、紐の片側を手首や指に括り付ける。そしてもう片方を持って振り回す。回し方は上からと下から、両方ある。十分スピードがついたところで手を放す。すると遠心力によって勢いのついた石が飛んでいく、というものだ。

 旧約聖書「サムエル記」で、小兵のダビデが巨人のゴリアテを倒したのも、このスリングだ。2世紀のギリシャ人学者ポリビオスによると、スペインの東の海上に位置するバレアレス諸島の人々は、このスリングの達人として有名だった。母親は我が子らに、小さいころからスリングを使った的あてをやらせ、外れると罰として食事を抜いた、とある。今で言うと、とんだ毒親だが、貧しい島の人々が傭兵稼業で食べていくためには、こうしたスキルを身につけざるを得なかったのだろう。

 

スリング攻撃で、ゴリアテを仕留めるダビデ
小よく大を制す。

 

 このように幼少期から鍛えられることで、彼らはスリングの達人「スリンガー」として、戦場に引っ張りだこの存在になった。紀元前1世紀の歴史家、ディオドロスは「カルタゴシラクサとの間で行われた戦いでは、バレアレスの1千人のスリンガー部隊の活躍のおかげで、カルタゴは勝利した。彼らの重く大きな石弾は、スリングで投擲することのできるおよそ最大射程であった」といった旨を記している。

 ではこのスリング、実際の有効射程距離はいかほどのものだったのか?プラトンの弟子、クセノフォンが記したギリシア人傭兵部隊の逃避行の記録である「アナバシス」には、ロードス島スリンガーたちが登場する。作中の記述を信じるならば、なんと450m!も飛ばしている。それで敵側の弓矢隊を圧倒したそうな。(当時の弓矢の有効射程は約100mである)

 威力も馬鹿にできない。強烈な遠心力によって放たれた石の初速は時速100kmをゆうに超え、鎧なしの人体を貫通した。革鎧相手ならむしろ弓矢より有効だった、との記述もある。鏃は防げた革鎧でも、より重さのある石弾を食らうと衝撃エネルギーが浸透して、内臓に深刻なダメージを与えたようだ。兜に当たれば脳震盪は確実、下手をしたら脳挫傷だろう。(続く)