根来戦記の世界

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印地について~その② 戦場におけるスリングの弱点

 武器としてこんな素晴らしいスリングだが、古代から中世にかけて戦場からは徐々に姿を消してしまう。理由はいくつかある。

 まずは金属製の鎧と盾の普及。スリンガーたちも石弾を紡錘形に成形したり、より重い鉛弾を使ったりするなどして、攻撃力を上げる工夫はしていたのだが、流石に金属製、特に鉄製の盾と鎧に対しては分が悪かった。またそうなると結局は工房などで弾を形成することになり、容易に弾を補給できる、というメリットのひとつも失われてしまった。

 次にライバルの進化。相手が木製の単弓や、弩であるならばまだ張り合えたのだが、複合弓や長弓など、より進化した弓が出てきてしまうと、速射性・攻撃力共に遥かに及ばなかった。上回っていたのは射程のみだが、長距離になればなるほど命中率は下がる。最大射程で放ったところで、どれほど有効だったことか。また武器の特性上、紐を大きく振り回す必要があるので、隊列を組むのに適していなかった。これも弓と比べると、不利に働いた。

 最後に練度の問題である。先述したように、バレアレス諸島人のように幼少期から鍛えることによって、スリングは驚異的な射程と命中率を誇ったが、逆を言えばそこまで習熟するのに、それなりの労力と時間がかかった。例えば彼らは、短・中・長距離とレンジによってスリングを使い分けていたのだが、長さの異なる3種のスリングの使用に熟達するには、相当な訓練が必要だったろう。戦場で運用するのもコツがいりそうだ。複合弓を使用・運用するには、そこまで訓練する必要はない。長弓はその特性上、習熟するのにかなり時間がかかったが、そのほかの点でスリングより遥かに優れている。

 そんなわけで戦場においては、スリンガーたちを組織的に運用する、ということは、ほぼなくなってしまったのである。

 とはいえ以後、部隊規模での戦場使用例がないわけではない。日本において有名なのが三方ヶ原の戦いにおける武田軍だ。「信長公記」によれば、まず初めに投石攻撃が行われ、徳川方の戦列を崩した、とある。ただこれは足軽が手で打ったものと思われるし、それ専用の部隊がいたわけでもないだろう。

 なお、棒の先に礫入れをつけ、振りかぶって反動をつけて投げる「スタッフスリング」という武器も存在する。威力・射程共に、投石紐よりも劣っていたようだが、重いものを放るには適していたようだ。日本でも使われており「ふりずんばい」或いは「石ぶん」などと呼ばれていた。拙著「京の印地打ち」にも登場させている。(続く)

 

籠城戦でスタッフスリングを使用する兵士。