根来戦記の世界

戦国期の根来衆に関するブログ

根来戦記の世界 - にほんブログ村 にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち

この時期、多くの日本人たちが世界に拡散している。その数は数万人規模に及ぶとみられている。倭寇、傭兵、商人、そして奴隷として・・

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その⑨ 倭寇による国造り・台湾王国樹立とその滅亡

オランダ勢力を駆逐して、台湾を手に入れた鄭成功はさらに南方、スペイン人の占領するフィリピンに目を向ける。彼の旗下にいたイタリア人修道士をマニラに遣わし貢納を要求した、という記録が残っている。これは現地のスペイン人に、ちょっとした恐慌を巻き…

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その⑧ 倭寇vsオランダ ゼーランディア城攻防戦

当時の台湾はオランダの勢力下にあった。その拠点は台南のゼーランディア城にあり、支城として近くにプロヴィンシア城があった。鄭芝龍が明の高官であった30年~40年ほど前、鄭一族とオランダは矛を交えた時期もあったが、概ね商売上のよき取引相手であ…

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その⑦ 倭寇から明の忠臣になった男・鄭成功

長きに渡って倭寇を紹介してきたこのシリーズも、ようやく終わりに近づいてきた。最後はトリを飾るのに相応しい男の登場である。 1625年。鄭芝龍という男がいた。福建省出身の彼は、故郷の閩南(びんなん)語の他、南京官話、ポルトガル語、オランダ語など…

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その⑥ 日本人町と鎖国

東南アジア各地には、イスラム教徒や現地勢力が築いた小規模な王国が幾つかあったが、16世紀初頭からポルトガル人やスペイン人ら西欧勢が交易網の結節点に町を形成、こうした周辺の小王国を滅ぼして植民地化を進めていった。ポルトガルの拠点はマラッカで…

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その⑤ 東南アジアにおける日本人傭兵たち

サイヤ人ばりに戦闘能力が高かった戦国期の日本人は、傭兵としての需要も大きかった。最も有名なのは、タイの傭兵隊長・山田長政であるが、他にも例は幾らでもある。1579年にタイのアユタヤ王朝がビルマとラオス連合軍に侵略された際には、500人の日…

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その④ 海外に売られていった日本人奴隷(下)

アジアにおける奴隷貿易は、如何ほど儲かったのだろうか?1609年に人さらいに騙されて、マカオで船に乗せられ、マニラにて売りに出された中国人の少年少女たちの史料が残っている。それによると、誘拐犯からの仕入れ値は1人につき10パルダオ、マニラ…

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その③ 海外に売られていった日本人奴隷(上)

ここで一回、倭寇から離れて当時の日本人奴隷について見ていきたい。16世紀から17世紀にかけて、大勢の日本人が東南アジアのみならず、インドや中南米にまで移住している。パターンとしては、これまで見てきたように、まずは貿易に関わる商人として。次…

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その② 流れ流れて、幾千里。倭寇の親分になった「大夫様」

日本人が頭目であった倭寇集団もあった。最も有名なのがルソン島・カガヤンを縄張りとする「タイ・フーサ」として知られている日本人が率いていた倭寇集団である。1582年に、この倭寇集団とスペインとの間で「カガヤンの戦い」が行われている。 この「タ…

晩期の倭寇と、世界に広がった日本人たち~その① 海賊王を目指した林鳳

後期倭寇の最盛期は1550年代だが、その数を減らしながらも活動自体は引き続き続いていく。これまで前期倭寇と後期倭寇を紹介してきたが、後期倭寇のうち万暦年間の始まり、1573年あたりからの倭寇を「第三期倭寇」と呼ぶ学者もいる。「晩期倭寇」と…