根来寺の僧兵・行人たち
頻繁に起きていた境内での出入りだが、争いがエスカレートしないよう、守るべきルールがあったことが判明している。これを「根来寺之法度(はっと)」という。これまでに紹介した、慶誓が参加した2つの出入りを読んで気づいたことはないだろうか?そう、武器…
根来の四院――泉識坊・岩室坊・閼伽井坊・杉乃坊のこれら有力子院は、大きな経済力と軍事力を持っていた。こうした力のある子院は、まるで企業が子会社を作るように、系列の子院を増やしていく。例えば泉識坊系列の子院として、愛染院や福宝院などの名が挙げ…
もう1つ、違う出入りを紹介したい。やはり同じ慶誓が参加した「跡式の出入り」だ。先の「山分けの出入り」からわずか1年後、1556年に発生した出入りである。 それにしても、慶誓が参加していない出入りもあったはずなので、こうした戦いが常時、境内に…
以前の記事で少し述べたが、根来の行人方子院の間では、内輪もめが絶えなかった。内輪もめといっても、喧嘩レベルの話ではない。死傷者が何人も出る合戦レベルの戦いを、境内において繰り広げていたことが分かっている。 これを「出入り」という。 佐武源左…
行人たち――僧兵でもあった彼らは、どんな生活をしていたのだろうか。まずは見た目から。これに関してはフロイスの記録が詳しい。該当部分を引用してみよう。 「彼らは絹の着物を着用して、世俗の兵士のように振る舞い、富裕であり立派な金飾りの両刀を差して…
ともあれ、地域の土豪らを吸収して強大化した根来寺。根来に属した行人方子院たちは、外部に対しても盛んに侵略を行うようになる。 経済的な侵略方法としては、加地子(かじし)得分(とくぶん)(年貢以外の余剰収穫分のこと。場所によっては年貢の数倍~数十倍…
多くの戦国大名の成立過程というものは、概ね以下のようなものだ。 ①守護や守護代、国衆の中から、力がある家が台頭してくる。 ②周辺の国衆を滅ぼすか、傘下に入れるかなどして、その国を統一する。 ③独立性の強い国内勢力を粛清、再編成しつつ他国へ侵攻す…
紀州根来寺は、現在の和歌山県岩出石市に今もある、新義真言宗の総本山である。開祖は覚鑁上人。「根来寺」という名の寺は中世からあったが(古くからその地にあった豊福寺が、根来寺と呼ばれるようになっていた)、当時の人々の概念としては、そこに集まっ…