根来戦記の世界

戦国期の根来衆に関するブログ

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根来寺の僧兵・行人たち

戦国期に最盛期を誇った根来寺。その力の源泉であった行人たちの実態とは

根来寺の行人たち~その⑧ 出入りの掟

頻繁に起きていた境内での出入りだが、争いがエスカレートしないよう、守るべきルールがあったことが判明している。これを「根来寺之法度(はっと)」という。これまでに紹介した、慶誓が参加した2つの出入りを読んで気づいたことはないだろうか?そう、武器…

根来寺の行人たち~その⑦ どこの谷にあるのか、系列はどこなのか

根来の四院――泉識坊・岩室坊・閼伽井坊・杉乃坊のこれら有力子院は、大きな経済力と軍事力を持っていた。こうした力のある子院は、まるで企業が子会社を作るように、系列の子院を増やしていく。例えば泉識坊系列の子院として、愛染院や福宝院などの名が挙げ…

根来寺の行人たち~その⑥ 1556年、跡式の出入り

もう1つ、違う出入りを紹介したい。やはり同じ慶誓が参加した「跡式の出入り」だ。先の「山分けの出入り」からわずか1年後、1556年に発生した出入りである。 それにしても、慶誓が参加していない出入りもあったはずなので、こうした戦いが常時、境内に…

根来寺の行人たち~その⑤ 1555年、山分けの出入り

以前の記事で少し述べたが、根来の行人方子院の間では、内輪もめが絶えなかった。内輪もめといっても、喧嘩レベルの話ではない。死傷者が何人も出る合戦レベルの戦いを、境内において繰り広げていたことが分かっている。 これを「出入り」という。 佐武源左…

根来寺の行人たち~その④ 行人たちの実態

行人たち――僧兵でもあった彼らは、どんな生活をしていたのだろうか。まずは見た目から。これに関してはフロイスの記録が詳しい。該当部分を引用してみよう。 「彼らは絹の着物を着用して、世俗の兵士のように振る舞い、富裕であり立派な金飾りの両刀を差して…

根来寺の行人たち~その③ 台頭する行人たち

ともあれ、地域の土豪らを吸収して強大化した根来寺。根来に属した行人方子院たちは、外部に対しても盛んに侵略を行うようになる。 経済的な侵略方法としては、加地子(かじし)得分(とくぶん)(年貢以外の余剰収穫分のこと。場所によっては年貢の数倍~数十倍…

根来寺の行人たち~その② 土豪と行人方子院

多くの戦国大名の成立過程というものは、概ね以下のようなものだ。 ①守護や守護代、国衆の中から、力がある家が台頭してくる。 ②周辺の国衆を滅ぼすか、傘下に入れるかなどして、その国を統一する。 ③独立性の強い国内勢力を粛清、再編成しつつ他国へ侵攻す…

根来寺の行人たち~その① 行人とは

紀州根来寺は、現在の和歌山県岩出石市に今もある、新義真言宗の総本山である。開祖は覚鑁上人。「根来寺」という名の寺は中世からあったが(古くからその地にあった豊福寺が、根来寺と呼ばれるようになっていた)、当時の人々の概念としては、そこに集まっ…