根来戦記の世界

戦国期の根来衆に関するブログ

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2025-06-01から1ヶ月間の記事一覧

本願寺の興亡・百姓の持ちたる国編~その⑫ 加賀三箇寺 vs 超勝寺・本覚寺の死闘「享禄の錯乱」

そもそも越前にあった超勝寺・本覚寺だが、その歴史は古く、隣国・加賀においても多くの門末を抱えており、特に白山山麓にある山之内庄に門徒が多かった。この山之内門徒衆は、加賀一向一揆の中でも精強を以て知られた集団で、その頭目は二曲(ふとげ)城を…

本願寺の興亡・百姓の持ちたる国編~その⑪ 「今まで冷遇されていた僕が門主の筆頭後見役になったので、これまで馬鹿にしていたやつらをざまぁ!します」の巻

まだ幼い証如の補佐として成立した、「題名の五子」制度。この5人の中で、実績・影響力共に突出していたのは、北陸における最高司令官・蓮悟であった――実如が亡くなるまでは。 1519年に実如によって定められた、「一門一家制度」のルールをもう一度確認…

本願寺の興亡・百姓の持ちたる国編~その⑩ 「このうらみ、はらさでおくべきか」ルサンチマンの塊・蓮淳という男

実如が指名した「題名の五子」の、5人中3人は「百姓の持ちたる国」加賀から選ばれた、いわゆる「加賀三箇寺(さんかじ)」の住持であり、実如の弟たちでもある。この加賀三箇寺であるが、そもそも如何にして成立してどのように発展していったのか、その経…

本願寺の興亡・百姓の持ちたる国編~その⑨ 攻勢から守勢にまわる本願寺、そして実如の死

1506年・永正三年の一向一揆は、概ね失敗に終わった。特に越前における敗退は痛手で、朝倉氏によって一向宗は爾後禁制とされたし、聖地・吉崎御坊も焼き払われてしまった。 朝倉氏は門徒たちの財産を全没収のうえ国外追放、加賀との国境は陸のみならず海…

本願寺の興亡・百姓の持ちたる国編~その⑧ 越前朝倉氏との死闘「九頭竜川の戦い」

北陸の本願寺の要・吉崎御坊は越前の国、加賀との国境にある。蓮如がこの地に降り立って以来(そして去った後も)、吉崎御坊は北陸の本願寺門徒たちの聖地であり続けた。門徒たちにしてみれば、この聖地がある越前を加賀のような「百姓の持ちたる国」にしよ…