この「通夜参籠の術」のギミックは、拙著1巻でも使わせてもらっている。(以降ネタバレになるので、先を読む方は注意)。
主人公の義姉に対して、種付けをした声聞師らがいる。淀君に対して種付けを行った者らと、同じ党であるという設定である。その党の名を「陀天(だてん)党」とした。この陀天党は、これまた中世に実在したカルト教団をモデルにしてある。
その教団の名は伝わっていないが、現在の研究者の間では、便宜的に「彼の法(かのほう)」集団、或いは「内三部経流(ないさんぶきょうりゅう)」と呼ばれている。
この「彼の法」集団は13世紀前半に成立した教団で、密教本流から分派したというよりは、田舎の民間信仰をベースに真言密教を聞きかじった者が、その教えをミックスさせたもののようだ。荼枳尼天(だきにてん)を祭り、人間の頭蓋骨を細工した「髑髏本尊」の前で性的な儀式を行うという、まるで漫画に出てきそうな「カルトの極み」集団である。
「彼の法」集団は、1267年11月24日に前代未聞の不気味な事件を起こしている。公卿・広橋経光が記した日記「民経記」によると、太政大臣の西園寺公相(きんすけ)の葬儀が執り行われた際、なんと何者かによって遺体の首が刎ねられ、盗まれるという怪事件が起きているのだ。
どうも「彼の法」の本尊に使用する髑髏は、高貴な身分の者のそれであるほど霊験あらかたである、という設定だったらしく、それを欲した者の犯行だったようだ。同年同日の「民経記」には「世間には髑髏の儀式を行う僧侶で溢れかえっている」とまで記している。こんな騒動が起きるほど、「彼の法」は一時相当に流行っていたのだ。
さて、この「彼の法」集団というカルト、ひと昔前までは「真言立川流」という密教の分派と混同されていた。しかし彌永信美氏らによる研究により、現在では「両者は全く別ものである」ということがはっきりしている。そもそもなぜ、こんな混同が起きたのだろうか?
これは実は南北朝時代、北朝方の僧であった宥快が、南朝方の有力な僧であった文観を攻撃するために、巧妙かつ執拗に文観を立川流と結びつけ、更に立川流は「彼の法」と同じものである、とする印象操作を行ったせいなのだ。
彼の策略は見事に成功し、以降、文観と立川流は邪法教団である、ということにされてしまった。そもそも真言立川流の心定という僧などは、その著作の中で「彼の法」集団の教えを「外法ですらなく邪法だ」とまで批判しているというのに。
この風評被害のおかげで立川流は、江戸時代には消滅してしまったのである。宥快の宣伝工作は予想以上に功を奏し、現代においてもつい最近――30年くらい前までは、一般的にはそういう認識であったのである。
著者が若い頃に読んだ、夢枕獏氏の格闘伝奇小説に真言立川流が出てきて、作中ではまさしくそうした描き方であったのを覚えている。これら一連の研究は2010年後半になって成されたものだから、700年後になってようやく、真言立川流の名誉が回復されたといえる。
この「彼の法」集団と、通夜参詣の術を持つ声聞師一党をミックスしたものが、拙著に出てくる「陀天党」である。出生に関わる秘儀を得手とする声聞師集団で、髑髏本尊の前で行う儀式を以て、種付けをする設定だ。ちなみに100%フィクションの集団である――念のため。
実際の「彼の法」集団は、室町期である14世紀後半にはほぼ消滅していたらしいが、声聞師集団のカルトな一派として生き残っていたとするならば、案外こんな形だったかもしれない。(続く)
夢枕獏氏による伝奇格闘小説。高野山の奥に安置されている空海のミイラ。実はこのミイラにはまだ意識が残っており、精神探査の特技を持つ「サイコダイバー」たちが、空海の意識にダイブしてその秘密を探る、というぶっ飛んだ設定の小説である。ブログ主がこれを読んだのは高校生の時で、激しく衝撃を受けたのを覚えている。この作中に「真言立川流」が出てくるが、「髑髏本尊の前で性的教義を行う」という、典型的な描き方であった。この小説を読んで「真言立川流」を知った人は多いのではないだろうか。