こうして全ての邪魔者を始末した徐海は、8月1日に手勢を率いて官憲に降伏する。はじめ胡宗憲はこれを手厚くもてなしたという。帰順した徐海一党には、適当な居留地が与えられることになり、8日に沈家荘という地に入る。東側に徐海一党が、川を挟んだ西側に陳東と麻葉の残党が入居することになった。
しかし官軍の警戒が一向に解かれず、軟禁状態に置かれてしまったことに、徐海はようやく気づくのだ。だが、もう遅かった。あれだけあった手勢はわずかしか残っておらず、自身も既に籠の中の鳥である。自暴自棄になった彼は、17日に胡宗憲の使者を斬って、最期の戦に備える。
ところが官軍が迫って荘中が混乱する中、捕まっているはずの陳東から、彼の残党の元に伝言が届けられるのだ。その伝言は「この騒ぎは実は陽動で、胡宗憲の意を受けた徐海が、お前らを始末しようとしているのだ。気をつけろ」という内容だったのである。以前、胡宗憲が徐海に対して行った策略と同じパターンである。
25日夜、激高した陳東の残党らは川を越えて徐海の元に押しかけ、これと乱闘の末、殺してしまう。そしてこの残党らも、徐海が死ぬのを待ってました、とばかりに襲いかかってきた胡宗憲の軍によって、翌26日に壊滅させられてしまったのである。
こうして倭寇最大の勢力を誇った、徐海の一党は滅んだ。規模の割にはあっけない終わり方であった。やり方はどうあれ、これを仕切った胡宗憲の一連の手腕は見事なもので、まるで三国志の物語を読んでいるかのようだ。
ちなみに残りの4人の日本人、種子島の助左衛門、薩摩の夥長掃部、日向の彦太郎、和泉の細屋らはどうなったのだろうか?「日本一鑑」の「窮河話海」巻四にその顛末が記載されている。
まず種子島勢だが、何処かの地でほぼ壊滅してしまったようだ。リーダーの助左衛門ら以下、数人だけが何とか帰島に成功している。種子島に顔が利いた徐海は、1552、54、56年と3度に渡ってこの島で倭寇の参加募集をかけたのだが、あまりに募集しすぎて(そして帰ってこない者が多すぎて)、島の集落から人が減って閑散としてしまった、と伝えられている。生き延びた助左衛門は、さぞかし肩身の狭い思いをしたことだろう。(というか、無事で済んだのだろうか)
次に薩摩勢と和泉勢だが、彼らは終始、陳東と行動を共にしていたらしい。なので、陳東が捕まった際に一緒に壊滅したか、そうでなければその残党として沈家荘の東側に入った可能性もある。後者だとすると、27日の夜に徐海を殺したのは、もしかしたら彼らであったかもしれない。いずれにせよ、残党は徐海を殺したその数時間後には壊滅してしまっているから、和泉勢の中に根来衆がいたとしたら、そこで最期を迎えたということになる。
なお、別行動をしていた彦太郎率いる日向勢のみ、大きなダメージもなく日本に戻ってこられたようだ。相当数の船団が故郷に帰りついた、とある。記録には70隻とあるが、本当だろうか。その半分にしても多すぎるような気がするが・・いずれにせよ、船倉に略奪品を満載していたとすると、相当儲かったに違いない。
二大巨頭であった王直と徐海の死によって、倭寇集団は大きなダメージを受けた。これにより浙江・江南の倭寇は平定され、残党たちは福建・広東などの、中国東南沿岸部へとその舞台を移すことになる。またこの頃より、以前の記事で紹介した、戚継光(せきけいこう)の「戚家軍」などが活躍しはじめるのだ。私軍を中核としたこれら精鋭軍団によって、倭寇集団が陸戦で壊滅させられることが多くなってくる。
また明は、海上活動を必要以上に締め付ける愚策を悟り(今更だが)、1567年以降は海禁政策を緩和する方向に向かう。税さえ払えば、貿易が合法として認められるようになったのだ。ただし日本との貿易は対象外だったのは、倭寇の根拠地として警戒されていたからのようだ。(あまり守られなかったので、意味がなかったようだが・・)そしてその倭寇の人的資源の供給先であった日本においては、秀吉による統一政権が生まれることにより、海賊の取り締まりが強化される。(1588年の海賊禁止令)
こうして後期倭寇の活動は、終息に向かうことになるのだ。
なお策謀によって王直らを捕殺し、倭寇に大きなダメージを与えた胡宗憲は、その功によって出世したが、結局は中央の政変に巻き込まれる形で1562年に失脚し、投獄され自殺している。これもまた、どこかで見た景色である。(終わり~次のシリーズに続く)
このシリーズの主な参考文献
・描かれた倭寇「倭寇図巻と抗倭図巻」/東京大学史料編纂所 編/吉川弘文館
・嘉靖年間における海寇/李獻璋 著/泰山文物社
・明・日関係史の研究/鄭梁生 著/雄山閣出版
・南蛮・紅毛・唐人:十六・十七世紀の東アジア海域/中島楽章 編/思文閣出版
・倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史/渡邊大門 著/星空社新書
・堺-海の文明都市/角山榮 著/PHP選書
・東アジア海域に漕ぎ出す1 海から見た歴史/羽田正 編/東京大学出版会
・その他、各種学術論文を多数参考にした。