根来戦記の世界

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河原者と天部について~その① 平安末期に成立した「触穢思想」とは

 新シリーズである。拙著1巻の主人公・次郎は印地打ちであり、その師匠として「鹿丸」という印地の達人を出した。彼は山水河原者である。

 「河原者」とは何か。端的に言うと、彼らは河原に住み、賤視されていた被差別民である。なぜ彼らは賤民視されていたのだろうか?これを理解するためには、そもそも中世の日本において賤民視される人たちが、どのようにして不当な地位に貶められていったのか、を見ていく必要がある。

 なお、同じく被差別民であった「非人」であるが、中世においては、非人と河原者はどうやら別種のものとして認識されていたようである。非人についてはまた別シリーズで述べるが、ただ賤民視されていたのは同じで、その理由もまた同じであった。

 その理由とは何か?実はこれには、日本特有の「穢れ」思想が大きく関連しているのである。神道における「穢れ」思想は、特に公家社会において大きな影響を与えていた。「死」や「病」を忌むべきものとして扱ったのである。

 こうした思想は、平安末期から急速に広まったものだ。この時期、天皇を究極的に清浄な存在とし、それを最高の権威として位置づけた政治体制が造られていったのである。結果、穢れを極力避ける社会通念が出来上がった、という次第だ。

 

九条家本「延喜式」。平安中期に編纂された「延喜式」は当時の法令集であるが、中には穢れの種類やそれに触れた場合の「物忌み(自宅謹慎)」期間まで細かく規定された部分がある。当時、如何に「穢れからの忌避」が重要視されていたかが分かる。

 

 例えば、身内が死にそうになる。そうなると家の人間はその病人を、生活空間とは別の場所に移すのである。本宅で死なれると「穢れ」が発生するので、そうならないよう敷地内にそれ専用の部屋を用意して、最期を看取るのである。身内ならそれで済むが、これが使用人ごときだと病気で死にかけているのを戸板に乗せ、河原に運んで捨ててしまうのだ。酷い話である。

 死や病だけではない。妊娠や出産・月経さえも「穢れ」とみなされていた。出血を伴う生理現象であったから、というのがその理由らしいのだが、死とは正反対の意味を持つ、生命の誕生に関わることを穢れと規定するのも本末転倒な話ではある。

 いずれにせよ当時の公家の行動様式は、こうした触穢思想によって規定されていた。面倒なことに、この穢れは伝染すると信じられていた。触れていなくても、閉ざされた同じ空間にいただけで伝染するのである。だから妊婦は別室に隔離されていた。これが「忌み小屋」の原型である。

 穢れはどこまで伝染するのだろうか?例えば、たまたま穢れてしまった人、甲がいるとする。これを第一世代としよう。甲から乙に穢れが伝染する、これが第二世代。更に、乙から丙にも穢れが伝染する。これが第三世代である。丙の穢れはその人限りで、丁には伝染らない――ここに来て、ようやく穢れの連鎖が止まるのである。

 そして第三世代までは、同じ閉ざされた空間にいただけで100%伝染してしまうのである。そこにいたのが1人だろうが50人だろうが、一人残らず全員である。コロナ顔負けの感染力なのだ。昭和の昔(今もあるのだろうか?)、エンガチョという子どもの(虐めに近い)悪戯があった。考えてみれば、あれは「穢れ」を別の者に移していくというものであり、この触穢思想からきているのがよく分かる。

 そしてまた、穢れというものはやたら簡単に発生するのである。では具体的に「穢れ」はどのように発生し、当時の社会にどんな騒動を引き起こしたかのだろうか?次回、現代の我々から見ると実に馬鹿馬鹿しい珍騒動なのであるが、過去に「穢れ」が原因となって起こった、幾つかの「大事件」を紹介しようと思う。(続く)