根来戦記の世界

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中世に至るまでの、日本における仏教とは~その⑧ 最澄vs徳一「三一権実争論」

 奈良から平安期にかけて栄えた南都六宗であるが、その中で最も権勢があったのは法相宗である。この法相宗の教えはユニークなものなので、その教義を少し紹介してみよう。

 まず日本仏教を語るには、中国仏教なしには語れない。日本の仏教は、おしなべて中国経由で入ってきたものだからだ。日本ならではの宗派が独自に確立し、発展するのは鎌倉期に入ってからである。平安期までの仏教――南都六宗密教天台宗などはインドが源流ではあるが、すべて中国で発展・解釈され直したものなので、中華風に味付けされた仏教だといえる。

 この中国仏教に最も影響を与えた名僧は、4世紀後半から5世紀にかけて活躍した鳩摩羅什(クマラージュ)である。西域出身の彼は中国の長安に移住し(というか、無理やり連れてこられた)、数多くのサンスクリット仏典を翻訳した。彼の成した仕事で、後世に最も影響を与えたのが「法華経」の翻訳と解釈である。

 「法華経」の教えとは要するに、「すべての人は仏性を持っていて、誰でも修行すれば仏陀になれる可能性を秘めている」というものである。これを「一乗真実説」と呼ぶ。中国においては、この考え方が主流であった――「三蔵法師」こと玄奘が、インドにおける経典収集の旅から帰ってくるまでは。

 

Wikiより画像転載。三蔵法師こと玄奘。修行が深まるにつれて疑問が深まるようになった彼は、いっそインドにて原典に当たるしかない、と考えた。玄奘が国禁を犯してインドに向かったのは629年のことである。3年かかって辿り着き、10年以上かけて彼の地で「唯識論」を学んだ。645年に657部の経典を中国に持ち帰り、残りの一生を翻訳事業に捧げた。また彼は17年間に及ぶ旅の記録を「大唐西域記」として記したが、後世これを種本として成立したのが、かのお伽話「西遊記」である。玄奘自身は、新たに宗派を興すことはしなかったが、唯識論の考え方に則って、彼の弟子である基(き)が新たに開いたのが「法相宗」である。その基礎となる唯識派の理論はとても難解なのであるが、要約すると「世界は我々の心が認識することによって初めて存在が可能となるわけだから、実際に存在するのは我々の心だけ、ということになる。つまりすべての事象は、我らの心の在り方によって起こるのである」というものだ。西洋の唯心論と考え方は似ているが、着地点が違う。唯識論の教えでは最終的には修行により、心さえも存在しない「空」の境地に至って悟りを得る、というものだ。この法相宗を日本に持ち帰ったのが、基の弟弟子であった日本人僧の道昭である。道昭は基と共に、玄奘から直接指導を受けた直弟子でもあった。

 

 この玄奘が持ち帰った唯識派の経典には、衝撃的な教えが書かれていたのである。曰く「人は全て生まれながらにして種姓を持つ。その中の1つの種姓を持った人だけが仏陀になれるかもしれないのであって、残りの人はそこまでは至らない。これは生まれつきなので、決して変わることはない」――

 どんなに苦行をしても仏陀になれない人がいる!これは「一乗真実」の教えが主流であった中国仏教界においては、ショッキングな思想であった。この考え方を、表にしたものが下記の画像である。

 

法相宗の考え方は、人の素質として「声聞種姓」・「独覚種姓」・「菩薩種姓」の3つの種姓があり、人はこの組み合わせで5種類の性に分類することができる、というものだ。これを「五姓各別説」と呼ぶ。上記の表の通り、③の菩薩定性と④の不定性の人だけが仏陀になれる可能性を持つのであって、①の声聞定性と②の独覚定性の人の修行の最終到達点は、どんなに頑張っても「己だけが悟れる」というものに過ぎない。小乗仏教に対するアンチテーゼとして生まれた大乗仏教の立場からすると、これはしょせん小乗の到達点であり、悟りのレベルとしては低いものになる。なのでどんなに修行をしても、生まれつきの素質で小乗の到達点にしか達しない、という考え方は中国の仏教界に衝撃を与えたのであった。なお、⑤の無性有情の人が一番悲しい立場にあるが、行いによっては条件のよい世界に生まれ変われるので、一応は菩薩による救いの対象になっている。なお声聞・独覚・菩薩を合わせて三乗と呼ぶので、「一乗説」に対してこれを「三乗説」とも呼ぶ。

 

 このように身も蓋もない教えであるが、実際問題としてどんなに高位の僧であっても(そして自身がどんなに言い張ろうとも)、客観的に見るとほぼ全ての僧が「仏陀になんか、なれていないじゃん」という現状があるわけだ。

 また仏陀の境地にまで辿りつかなくとも、頑張ればそれなりのレベルの悟りには辿り着けるわけで、これは「悟りの立場もいろいろあって当然だよね」という、ある意味現実的な考え方であるといえる。仏陀になる以外の在り様を否定しているわけでもないので、いま流行りの多様性を認める教義でもあるのだ。

 とはいえやはり、成れるものなら仏陀になりたい。この法相宗の教義で面白いのは、己がどの種姓を持っているか分からないことにある。そこで法相宗を奉じる僧たちは、己が菩薩定性で在ることを証明せんと、世の中のためになることをする傾向があるのだ。

 例えば奈良期の代表的な法相宗の僧に、行基がいる。彼は奈良の大仏を造仏するための費用を勧進するため、全国各地を遊行した。彼ら法相宗の僧たちは、他にも人々の為に大規模な灌漑をしたり、橋を架けたりなどの手広い社会事業を行ったのである。

 実はキリスト教にも、似た教えを奉じる宗派がある。カルヴァン派がそれで、「神の救済にあずかる者と、滅びに至る者は予め決められている」とするものだ。これを「二重予定説」と呼ぶが、これは法相宗の上記の教えと似ている。

 そして法相宗の僧たちと同じように、カルヴァン派の教えを信じる者は「自分こそ救済されるべき、選ばれた人間」であるという証しを立てるために、社会的事業に邁進したり、禁欲的に職業に励むのだ。カルヴァン派の世俗内禁欲傾向はよく知られており、資本主義の萌芽は彼らカルヴァン派から生まれたというのが、かの有名なマックスヴェーバーの著した「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」である。

 ――また話が逸れてしまった。話を平安期の日本に戻そう。当時この法相宗の第一人者に、徳一という名の僧がいた。彼は陸奥国会津あたりに住んでいた。当時の会津は僻地もへき地、これより北は蝦夷の地である。なぜこんな僻地に住んでいたのか理由は分かっていないが、彼の知見と教養は有名で、異能の人・空海をして「徳一菩薩は戒珠氷珠の如く、智海泓澄たり」と評するほどの人物であった。(最もこれは、徳一本人に送った手紙に書いたことなので、多分にお世辞が入っていただろうが)

 この徳一の著した「仏性抄」という書に、激烈な勢いで嚙みついたのが最澄だったのである。(続く)

 

生涯でベストの漫画を3つ挙げろと問われたら、ひとつにはこの漫画を挙げたい。それほど凄い、後世に残る名作なのである。玄奘の著した「大唐西域記」を元に、破天荒なファンタジー大河小説として成立したのが、かの「西遊記」であるが、この漫画はその「西遊記」を再びリアルな世界に落とし込んだという、二重構造になっているのだ。なので、本来は原典である「西遊記」(村上知行訳がいい)を読んでからの方が、この漫画の凄さを実感できる。ブログ主がこれは凄い!と思ったのは、原典にある「唐の太宗の冥界巡り」と「孫悟空が天界で大暴れ」の下りを、漫画では史実である「玄武門の変」に絡めて表現したことである。歴史上の人物(玄奘のみならず、唐の太宗やその配下の李勣・李積・魏徴など)やイベントとの絡ませ具合が実にうまく、しかも奥深いのだ。主人公は孫悟空であるが、彼は滅びるべき運命にある地煞星の元に生まれた、呪われた革命家という設定である。悟空はその宿命から脱出せんと足掻き苦しむが、一筋の光明を玄奘との西域への旅に見出し、旅に同行することになる。物語はようやく4人そろって西域を旅し始めたところである。作者の諸星大二郎氏は、熱烈なファン層がいることで有名な漫画家であるが、御大には物語が終わるまで、ぜひ長生きしてほしいものである。