奈良から平安期にかけて栄えた南都六宗であるが、その中で最も権勢があったのは法相宗である。この法相宗の教えはユニークなものなので、その教義を少し紹介してみよう。
まず日本仏教を語るには、中国仏教なしには語れない。日本の仏教は、おしなべて中国経由で入ってきたものだからだ。日本ならではの宗派が独自に確立し、発展するのは鎌倉期に入ってからである。平安期までの仏教――南都六宗・密教・天台宗などはインドが源流ではあるが、すべて中国で発展・解釈され直したものなので、中華風に味付けされた仏教だといえる。
この中国仏教に最も影響を与えた名僧は、4世紀後半から5世紀にかけて活躍した鳩摩羅什(クマラージュ)である。西域出身の彼は中国の長安に移住し(というか、無理やり連れてこられた)、数多くのサンスクリット仏典を翻訳した。彼の成した仕事で、後世に最も影響を与えたのが「法華経」の翻訳と解釈である。
「法華経」の教えとは要するに、「すべての人は仏性を持っていて、誰でも修行すれば仏陀になれる可能性を秘めている」というものである。これを「一乗真実説」と呼ぶ。中国においては、この考え方が主流であった――「三蔵法師」こと玄奘が、インドにおける経典収集の旅から帰ってくるまでは。
この玄奘が持ち帰った唯識派の経典には、衝撃的な教えが書かれていたのである。曰く「人は全て生まれながらにして種姓を持つ。その中の1つの種姓を持った人だけが仏陀になれるかもしれないのであって、残りの人はそこまでは至らない。これは生まれつきなので、決して変わることはない」――
どんなに苦行をしても仏陀になれない人がいる!これは「一乗真実」の教えが主流であった中国仏教界においては、ショッキングな思想であった。この考え方を、表にしたものが下記の画像である。
このように身も蓋もない教えであるが、実際問題としてどんなに高位の僧であっても(そして自身がどんなに言い張ろうとも)、客観的に見るとほぼ全ての僧が「仏陀になんか、なれていないじゃん」という現状があるわけだ。
また仏陀の境地にまで辿りつかなくとも、頑張ればそれなりのレベルの悟りには辿り着けるわけで、これは「悟りの立場もいろいろあって当然だよね」という、ある意味現実的な考え方であるといえる。仏陀になる以外の在り様を否定しているわけでもないので、いま流行りの多様性を認める教義でもあるのだ。
とはいえやはり、成れるものなら仏陀になりたい。この法相宗の教義で面白いのは、己がどの種姓を持っているか分からないことにある。そこで法相宗を奉じる僧たちは、己が菩薩定性で在ることを証明せんと、世の中のためになることをする傾向があるのだ。
例えば奈良期の代表的な法相宗の僧に、行基がいる。彼は奈良の大仏を造仏するための費用を勧進するため、全国各地を遊行した。彼ら法相宗の僧たちは、他にも人々の為に大規模な灌漑をしたり、橋を架けたりなどの手広い社会事業を行ったのである。
実はキリスト教にも、似た教えを奉じる宗派がある。カルヴァン派がそれで、「神の救済にあずかる者と、滅びに至る者は予め決められている」とするものだ。これを「二重予定説」と呼ぶが、これは法相宗の上記の教えと似ている。
そして法相宗の僧たちと同じように、カルヴァン派の教えを信じる者は「自分こそ救済されるべき、選ばれた人間」であるという証しを立てるために、社会的事業に邁進したり、禁欲的に職業に励むのだ。カルヴァン派の世俗内禁欲傾向はよく知られており、資本主義の萌芽は彼らカルヴァン派から生まれたというのが、かの有名なマックスヴェーバーの著した「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」である。
――また話が逸れてしまった。話を平安期の日本に戻そう。当時この法相宗の第一人者に、徳一という名の僧がいた。彼は陸奥国の会津あたりに住んでいた。当時の会津は僻地もへき地、これより北は蝦夷の地である。なぜこんな僻地に住んでいたのか理由は分かっていないが、彼の知見と教養は有名で、異能の人・空海をして「徳一菩薩は戒珠氷珠の如く、智海泓澄たり」と評するほどの人物であった。(最もこれは、徳一本人に送った手紙に書いたことなので、多分にお世辞が入っていただろうが)
この徳一の著した「仏性抄」という書に、激烈な勢いで嚙みついたのが最澄だったのである。(続く)
生涯でベストの漫画を3つ挙げろと問われたら、ひとつにはこの漫画を挙げたい。それほど凄い、後世に残る名作なのである。玄奘の著した「大唐西域記」を元に、破天荒なファンタジー大河小説として成立したのが、かの「西遊記」であるが、この漫画はその「西遊記」を再びリアルな世界に落とし込んだという、二重構造になっているのだ。なので、本来は原典である「西遊記」(村上知行訳がいい)を読んでからの方が、この漫画の凄さを実感できる。ブログ主がこれは凄い!と思ったのは、原典にある「唐の太宗の冥界巡り」と「孫悟空が天界で大暴れ」の下りを、漫画では史実である「玄武門の変」に絡めて表現したことである。歴史上の人物(玄奘のみならず、唐の太宗やその配下の李勣・李積・魏徴など)やイベントとの絡ませ具合が実にうまく、しかも奥深いのだ。主人公は孫悟空であるが、彼は滅びるべき運命にある地煞星の元に生まれた、呪われた革命家という設定である。悟空はその宿命から脱出せんと足掻き苦しむが、一筋の光明を玄奘との西域への旅に見出し、旅に同行することになる。物語はようやく4人そろって西域を旅し始めたところである。作者の諸星大二郎氏は、熱烈なファン層がいることで有名な漫画家であるが、御大には物語が終わるまで、ぜひ長生きしてほしいものである。