根来戦記の世界

戦国期の根来衆に関するブログ

根来戦記の世界 - にほんブログ村 にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

中世に至るまでの、日本における仏教とは~その② 「総合文化芸術」仏教に魅せられた古代の人々

 日本にやってきた、仏教という新しい教え。しかし日本古来よりある神道を奉じる、物部氏をはじめとした豪族たちの強い反発にあい、敏達天皇は否応なく仏教の排撃を余儀なくされる。これに対し、仏教導入派である蘇我氏が反撃、物部氏らを滅ぼすことに成功する。以降、日本において仏教が発展することになる――というのが、かつてブログ主が学んだ大まかな歴史の流れであった。

 上記の説の根拠となっているのは「日本書紀」なわけだが、最近の説ではどうなっているのだろうか。物部氏の本拠地である河内国・渋川の地には、寺院の跡が残っていることから、物部氏はそこまで狂信的な廃仏派ではなかった、という説があるのだ。

 薗田香融氏の論文「東アジアにおける仏教の伝来と受容」によると、仏教を排撃した主体は物部氏ではなく、どうも敏達天皇自身だったらしい。しかし後世に編纂された「日本書紀」において、天皇が廃仏派であったことをあからさまに記すのは都合が悪いということで、物部氏が悪役にされた、という可能性があるようだ。

 物部氏を率いる物部守屋は、廃仏を実行する際に先頭に立っていたようではあるが、まず敏達天皇の意を汲み、その支持を得ることは重要だったはずだから、廃仏のスタンスを取るのは必然であっただろう。仮に物部氏が勝利していたとしても、日本における仏教導入の流れは止められなかっただろうと思われる。

 当時の日本にやってきた仏教は、単なる宗教ではなかった。経文研究のための学問、寺院建築のための土木建築術、仏像や仏具装飾に見られる芸術性、声明が持つ音楽性、そしてエンタメとしての華やかな仏式祭礼。こうした数々の分野が、ひとつのパッケージにまとめられた「総合文化芸術」的な存在は、今までの日本には存在せず、古代の日本人はこうした知的かつ芳醇な仏教文化に、すっかり魅せられてしまったのである。

 592年正月に、蘇我氏飛鳥寺の塔に仏舎利をおさめる行事を行っている。このとき仏舎利は、蘇我馬子の屋敷から大がかりな中国式の葬送儀式を模して運ばれている。蘇我馬子とその息子は、従者100人以上を従えてこの行列に参加したが、みな中国式の弁髪を結い、百済服を着用したので見物人は喜んだ、とある。このように蘇我氏が行った大規模な仏式の催しは、先進国から来た最新のトレンドに則った、最高にイケてるイベントだったのであった。

 仏教に最後まで抵抗したのは、敏達天皇の例にあるように、天皇家であった。皇位の正統性は神道で担保されていたわけだから、当然ともいえる。しかしこうした流れには逆らえず、伝来から約半世紀たち、厩戸皇子聖徳太子)が摂政を務めた推古天皇の時代には、国家的な承認を与えざるを得なくなるのだ。

 

菊池容斎前賢故実」より聖徳太子こと厩戸皇子。言わずと知れた偉大な政治家である。その実在を疑問視する説もあるが、少なくとも厩戸皇子に値する人物がいたことは間違いない。皇族ではあるが、敬虔な仏教徒でもあった。知的レベルの非常に高い人であったようだから、仏教の持つ学問面には大きな魅力を感じたことだろう。推古天皇の時代に国政への仏教導入が進んだのも、甥であった彼が摂政であったからである。仏教経典の注釈書「三経義疏(さんきょうぎょうしょ)」は(議論はあるが)彼の作だとされており、もしそうだとすれば、そのうちのひとつ「法華義疏」は日本最古の肉筆文書であり、かつ厩戸皇子の直筆文書であるということになる。

 

 この時期(604年~)に導入された有名な制度に「冠位十二階制」と「十七条憲法」がある。このうち朝廷儀式の整備の一環として成された「冠位十二階制」は、儒教的発想に基づいた制度であるが、君臣間の新たなルールを定めた「憲法十七条」には、仏教の影響が大きく見られる。

 有名な、第一条「和を以て貴しとなす」であるが、これには続きがある。正確には「和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ」であり、この後半の「無忤爲宗」という言い回しこそ、大乗仏教が重視していた徳目なのである。続く第二条は「篤く三宝を敬へ」であるが、この三宝とは「仏・仏法・僧」を指すのである。このように、律令制の萌芽ともいえる制度に、既に仏教の教えが導入されていることが分かるのだ。

 また当時、隣の中国にあった超大国・隋は、仏教を篤く保護していた。そういう意味でも、仏教の国政導入は非常に役立った。小野妹子が607年に送り込まれた「遣隋使」は、正式な国使にも関わらず「隋の天子が仏法を復興されたと聞いたので、それを学びにきました」という体で送り込まれているのだ。

 つまりは仏教を利用した外交であり、これを成立させるためには、日本という国が「仏教による教えを基にした国政が行われている」という前提が必要であったわけだ。(続く)

 

30年ほど前のこと。大学の部室にあった単行本を、なんとなく手に取って読んだ漫画がこれであった。これまで妹が買っていた「りぼん」などの、月刊少女漫画誌を斜め読みしたことはあるが、こうした「大人向きの」少女漫画を読んだのは初めてのことで、激しく衝撃を受けたのを覚えている。少女漫画にも凄い漫画はたくさんあることを知り、おかげで世界が広がったのであった。山岸涼子樹なつみ萩尾望都などの先生方は、今でも大ファンである。内容は一言でいうと、厩戸皇子の人生を描いた漫画、なのであるが、ジャンルとしては「古代伝奇もの」とでも言うべきか・・・とにかく「死ぬまでに読まないと、人生で損をする漫画」のひとつである。