根来戦記の世界

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中世に至るまでの、日本における仏教とは~その⑥ 他宗をもその内に取り込んだ、空海の先進性

 空海により日本にもたらされた密教の教え。空海はそれに独自の解釈を加え、更に発展させる。彼が打ち立てた真言の理論は、天才が収集・編纂した故に、それ以上の解釈や発展がなかなか進まなかった、と言われているほどである。彼の先進性を示す一端として、「十住心論(じゅうじゅうしんろん)」の障りの部分だけ紹介してみよう。

 正確には「秘密曼荼羅十住心論」というこの著作は、そもそもは淳和天皇が各宗派の第一人者に「それぞれの教義を記して提出せよ」と下した命に応え、空海自らが著して提出したものだ。

 この著作で空海は、仏教における密教の立ち位置を素人でも分かるように定義している。その定義を表にしたのが、下記の画像である。

 

末木文美士氏著「日本仏教史」の本文中にある解説を基に、ブログ主が表にした。表にある通り、空海は人の悟りに至る段階を10のレベルに分けた。レベル1~3は仏教以前の段階であり、レベル4からが仏教の教えに相当する。南都六宗のうち、3つの宗派がレベル6~9の間に位置付けられている。(成実宗倶舎宗がないが、それぞれ三論宗法相宗の基礎学、という位置づけのようだ。律宗もないが、「戒律の研究と実践を主とする学問」として捉えており、ここでは宗派として扱っていないようだ。)空海が作り上げた、気宇壮大かつグローバルなこの概念図であるが、実のところ、1000年後の日本の新興宗教にも多大な影響を与えている。昭和初期に流行したとある新興宗教は、空海の作った概念図の対象を広げ、キリスト教イスラム教、はてはギリシャ神話まで含む世界の諸宗教まで内包した教義を作り上げ(勿論、頂点は教祖である自身である)、これを「超宗教」と称した。そこから分派した新興宗教の中には、ご丁寧に世界中の宗教の開祖や偉人たちを、それぞれこうした表の中に位置付けているものまである。教祖の主観100%で作られたこの「霊界ランキング」には、表の原案者である空海もそれなりに上位にランキングされてはいるが、同位に松平定信エジソン福沢諭吉内村鑑三らが並んでいる。同じレベルで偉い、ということらしい。

 

 この表で見えてくる空海の言いたいことは、つまりこういうことである――人は誰でも仏になれる可能性を秘めているが、表にある通り、最高位である大日如来の境地に辿りつけるのは、唯ひとつ密教の教えのみである。しかしながら他の教えも(程度によるが)、それぞれ真理に近いところにはいるのだ。そういう意味では既存の仏教の各宗派の教えは(仏教ではない儒教道教ヒンズー教でさえも)、間違っているわけではない。それどころか、なかなか良いものであるとさえいえる。しかるべき段階に来たら、最終的に密教に辿り着けばいいのだ――

 つまり、これまで日本の仏教界を牛耳っていた「南都六宗」を否定していないのである。それどころか、逆にそれを内部に取り込んでしまっているのだ。

 このように、他宗の教えを自らのうちに取り込む、または混交していることを「シンクレティズム」と呼ぶ。広い意味では「神仏習合」もそれであり、この時期に発展しつつあった「修験道」もそうした性格を持つ。しかしここまで丁寧に理論立てて整理し、体系の中にカッチリ取り込んでしまったところに、彼の偉大さがある。

 この理論はまた、敵を作らないやり方でもあった。この時点で、密教は日本に来たばかりの新興宗教であり、既存の宗教勢力から敵視されてもおかしくない。にもかかわらず、空海東密南都六宗と盛んに交流を行っている。この考え方によると、密教に至るまでの前9段の教えは否定されるべきものではなく、「密教的真理の段階的な現れ」として捉えられるからだ。密教の教えは、このように既存の南都六宗との境界線が緩かったから、両者の関係性は決して悪いものではなかったようである。

 空海は処世術にも、巧みな印象がある。空海高野山を、最澄比叡山をそれぞれ開山している。これまでの南都六宗は都市に拠点を置く「都市仏教」であったのだが、両山の開山によって俗世から離れた「山林仏教」への道が開けたわけである。しかし空海最澄と違って、都市仏教を排撃するような姿勢を取らなかった。事実、真言密教の総本山は京にある東寺であり、高野山はあくまでもその末寺、という位置づけであったのである。

 見方によっては狷介ともいえる、空海の世俗権力や既存の宗教勢力との妥協融合の巧みさであるが、先述した通り、彼の行動は広大な理論体系に裏付けられているのである。いろいろな意味で、空海は日本人離れしたスケールの大きな思想家であった。(続く)