根来戦記の世界

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河原者と天部について~その⑨ 首斬り又次郎について(上)

 次に紹介するのは「天部又次郎」である。庭師の又四郎と違って、これは個人の名前ではない。とある役職に就く河原者が、継承していく名前なのである。またの名を「首斬り又次郎」という。

 河原者の仕事のひとつに刑務業務がある。幕府に命じられ、罪人の捕縛や家屋の破却業務に携わるなど、刑の執行役を担っていたのだ。そして当時、河原は死刑執行場所でもあった。死刑方法には釜炒り・磔などいろいろあるが、首斬りもそのひとつだ。

 一例をあげると、1481年4月26日に足利義尚邸に侵入した賊が2人、六条河原で首を斬られている。一条から六条河原まで罪人の移送業務を担当し、死刑を執行したのは、この天部又次郎らであったと思われる。

 首を斬るのは、そんなに簡単なことではない。作法があって、首の皮一枚を残して斬るのである。首が胴体から完全に離れてしまうと、斬った勢いでどこぞに飛んでいきかねないからである。そんな不調法なことにならないように、皮一枚だけ残す。すると前に掘られた穴の中にストンと首が落ちる、という仕組みだ。これには相当な技が必要で、天部の河原者の中でも一番腕が立ち、かつ肝が据わっている者が選ばれた。つまり首斬り役そのものは、世襲ではなかったということだ。

 江戸期の江戸においては「人斬り浅」こと、首斬り役人の山田浅右衛門が有名である。江戸初期には、中川重良そしてその弟子、山野加右衛門などが首斬り役を務めていたが、1736年より正式に、山田家が処刑執行人の御用を務めることになる。

 

山田浅右衛門を描いた漫画といえば、こちら。「子連れ狼」を描いた、名コンビによる作品である。エンタメ色の強い「子連れ狼」と違ってスト-リーは淡々としているが、心に残る話が続く。このコンビは名作が多い。

 

 この山田家、興味深いのは当主の男子を跡継ぎとはせず、弟子の中から技量優秀なものを養子として跡を継がせていることだ。実子が襲名したのは8代目浅右衛門のみである。可愛い我が子に処刑人の跡を継がせたくない、という忌避感が大きかったようだが、技量がそこまで達しなかった、という理由もあったようである。首を美しく斬るのは、それだけ難しいものなのである。幕末の話だが、新選組内での切腹の際に、介錯役がひどく失敗して大いに面子を失った、という話が残っている。天部又次郎が世襲制でなかったのも、同じような理由かもしれない。

 いずれにせよ、戦国期の京においては天部又次郎がその役目を果たしていた。天部は秀吉の京都改造時(1591年)、三条へと移転する。それに伴い、三条河原が処刑場として使用されることになった。

 この三条河原の処刑で有名なのは、1595年に行われた関白・秀次一族の処刑である。秀次が切腹した後、その妻子・側室・乳母ら34名ないし39名が、秀吉の命によって三条河原で処刑されたのだ。

 見物人が悲鳴を上げるほどに、凄惨な処刑だったようだ。処刑の様子を記した「大かうさまくんきのうち」は江戸時代初期に成立した軍記物だが、作者は太田牛一、かの「信長公記」を記した戦国武将で、その客観的姿勢には定評がある。史料的価値は極めて高いと思われるので、少し長くなるが、そのくだりを意訳してみよう。

 「――河原の者が具足・兜を身につけ、太刀・長刀を持ち、矢を番えて、さも凄まじい警護であった。(中略)さも荒々しい山賤(やまがつ)の、岩木のように恐ろしく、情けを知らぬ河原の者の手にかかり、憂きも辛きも只この場であった。(中略)そこへ殺害人が走り寄り、先ず若君をひっ捕らえたが、さも美しい出で立ちで、まるで花を折り花を摘むかのようであった。それを犬の子でも下げるようにして、二刀で刺し殺したのである。(中略)これを見てより、親たちに抱き付いていた姫君を、かなぐり取るように引き奪った。『逃れられまいぞ』というままに、情けを知らぬ河原の者が、引っき下げて二刀、胸元に刺し立てて、投げ出す姿を見るときは、鬼神よりなお恐ろしかった」

 記しているだけでも、気が滅入る内容である。

 

秀次一族の処刑の様子を描いた「端泉寺縁起絵巻」より。この絵画は近世になってから成立したものなので、どこまで当時の様子を正しく描いているかは分からない。この絵では刀を持った男が2人いるが、どちらかが天部又次郎ということになろうか。

 

 この文中にある「岩木のように恐ろしく、情けを知らぬ河原者」と称された処刑人、彼こそが1595年時点での天部又次郎だったと思われる。

 処刑を淡々と行う手際のよさ、容赦のなさ、そしてその腕前の確かさ。更にこの後には、「造作もなく首を打ち落とした」という文が続く。プロでなければなし得ない、厳しい仕事であろう。罪のない幼児や乙女を処刑しなければいけなかったその心中たるや、如何なるものだったろうか。(続く)

 

なにゆえ秀次は切腹させられ、一族もまたこのように凄惨なまでの処刑をされなければならなかったのか?についての記事はこちらを参照。上と下の、2つに渡る記事になります。