根来戦記の世界

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雑記・ブログ開設1周年~その② 戦国期の市井の人々を描くのが難しい理由

 時代を遡れば遡るほど、人々の価値観や行動原理は現代とは異なってくるので、戦国期辺りより前の時代の人々を描くのは難しい――室町や鎌倉、平安期の市井の人々の姿を描いた小説は、ファンタジーを除くと殆どないのがその理由のひとつです。

 そしてもうひとつ、実際に書いてみて悩んだのが、当時の人々の社会的な立ち位置の不確かさです。例えば江戸期を舞台にした小説なら、「主人公の武士が町中で、通りすがりの町人に話しかけるシーン」を描くのは難しくありません。これが戦国期だとどうなるか。

 拙著の主人公、次郎は京近郊にある鳥羽の車借の家の生まれ、という設定です。車借とは、牛車を使って米などの物資を京まで運ぶ運送業者です。さてこの車借、社会的地位はどのようなものであったのでしょうか?色々調べたのですが、これがはっきりとした答えは出ていないのです。

 (車借についての詳細は、別にシリーズをたてて紹介する予定ですが)どうも、彼らの社会的な立ち位置が分かりづらい。なぜかというと、これまでの記事でお伝えしたように、この時代に生きる人々は、必ず何らかの共同体に属していました(属さなければ生きていけない)。共同体には地域的なもの、経済的なもの、宗教的なものなどがありましたが、それぞれが有機的につながっており、それが相互に作用しあい、互いの関係性によって「相対的に」社会的地位が決まっていたのです。過去の記事で「中世日本のリゾーム構造」に関して述べたことがあります。

 

 

過去記事の中で紹介した図を個人でなく、集団にも置き換えることができる。これは過去記事で紹介した、河原者集団の関係性を表したもの。(ただし正確なものではない。あくまでもイメージである)この通り、どの組織がどこに対して優位にあるのかは、それぞれの関係性による。また時代や地域によっても、大きく変動があった。

 

 上記の錯綜した関係性に比べると、(個人も組織も)江戸期は比較的すっきりとしたピラミッド構造になっています。頂点に絶対的な指標としての「徳川幕府将軍」がいて(江戸晩期は天皇の位が急上昇し、最終的には取って代わります)、これを基準として社会的階層が決まっています。なので、登場人物の関係性が描きやすいのです――最も、最近の研究だと、士農工商の概念も大分崩れてきたようですが。

 それでも、例えば百姓が武士に対してタメ口をきくことは、基本的にはありえません。でも兵農分離がまだ成されていない中世だと、(何を以て百姓と規定するか、によりますが)立ち位置によってはそれが可能だったりします。

 中世後期の基準となる指標は何かというと、一応は室町幕府ということになるのでしょうが、権力としてはとても弱かったのです。他にも朝廷や寺社、管領や地方の実力者たちがおり、それを中心点とした強力な権力の同心円が、並行して幾つも存在していました。

 そうした影響もあって、この時代の共同体、ひいてはそこに属する人々の上下関係というものは相対的に考えなければいけないので、彼らの生活や関係性を正確に描くことは(江戸期のそれに比べると)難しいのです。

 なので拙著でも、人間関係はかなり恣意的に解釈して描かざるを得ませんでした。二、三の点を除けば、そんなに突飛なことは描いていないつもりですが、本当にこの通りのようなことがあったかどうかは、作者にも分かりません。

 例えば白河印地です。拙著には半グレ集団的な立ち位置で登場させています。主人公の次郎は、物語の後半で白河印地にスカウトされます。そもそも白河印地をそういう愚連隊的存在として描くのは正しいのか、という問題はさておいて、白河印地の構成員はおそらく非人階級にあった者たちと思われます。(非人に関しては、このあとのシリーズですぐやります)

 そんな階級の集団に、車借出身の次郎がスカウトされる、ということ自体があり得たのでしょうか?クリアすべき問題は多々ありますが、その可能性はゼロではありません。何故ならば、次郎の出身母体・鳥羽と同じ運送業者である坂本の馬借は、やはり非人に近しい階級にあった組織と思われるからです。

 とはいえ車借と馬借とでは、違っていた可能性はありますし、両者は地理的にも京を挟んで正反対の位置にあります。属するバックの問題もあります。坂本の馬借は叡山の支配下にありましたが、車借たちは鳥羽に本拠を置く、名家の大沢家の管轄下にあったようです。バックが異なる、ということは職能の成立過程が異なるということになります。

 両者には幾つか共通点がありますが、それは同じ運送業者であった故、つまり並行進化の結果そう見えるだけで、当時の人々には別のものとして扱われ、社会的地位が異なっていたとしても不思議ではないのです。

 また作中では、次郎の実家である大路屋は、単なる運送業者に甘んじることなく、新義商人としての立場を確立しつつあります。(こんなことがあり得たのか、ということはさておいて)富を得ることによって、階級的上昇をも果たそうとしているのです。

 そんな訳で、「車借の一員としてみなされている次郎は、白河印地にスカウトされてもおかしくはないが、腹違いの兄である菊太郎からは、印地をすること自体は疎まれている」という設定にしてあります。(続く)

 

描くのが難しい「戦国期の庶民の生活」であるが、この短編集は素晴らしい。当時の人々のリアルな生活ぶりが、真に迫っている。どの話も面白いが、ブログ主が個人的に好きなのが、表題作の「一所懸命」である。主人公は齊藤氏の重臣日根野氏に仕える、そんなに身分が高くない土豪である。今年は水害があって田畑の取れ高が悪そうだから、年貢は減免する必要がありそうだ。そんな悩んでいるところに、隣国・尾張織田家(信長の父)が攻めてくるとの噂が流れてくる。慌てて戦の準備を始める主人公。戦場に連れていく槍持ちを誰にするのか?城に詰めている間の屋敷は誰がどうやって守るのか?など悩みは尽きない――描き方がリアルで実に面白い!作者の勉強ぶりには頭が下がる。96年度の小説現代新人賞・受賞作品である。