根来戦記の世界

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中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その④ 浄土思想と本覚思想・対立しあう2つの教義

 ここまでの流れをまとめよう。

 世に無常を感じ、そこからの解脱を目指す。物質や欲に囚われてはいけない。このように本来の仏教の教えは、厭世的側面が強かった。例えば出家。これは本来、持てるもの全てを捨てて解脱に挑む、という行為であったわけだ。

 密教がそれを変えた。解脱を宇宙的存在との一体化と捉え、スーパーマンに成ることを目指す。このように密教の教えは、とことん現世利益を追求したものであり、底抜けに明るいものであった。

 誤解を恐れず、今風に言えばこうなる――「解脱は素晴らしいことであると同時に、超楽しいことでもあるんだぜ。だって、スーパーマンになれちゃうんだぜ!その力を以て加持祈祷して衆生を救い、世界をいい方に変えちゃおうぜ!俺って超SUGEEEE!」というもので、成仏する動機に哲学的悩みはあまりない。能天気なまでに肯定的な考え方なのである。

 まるで今どきのラノベの主人公のような行動原理であるが、残念ながらチート能力は付与されていないから、仏に至るまでには修行は必要なわけだ。またこれがえらく難解かつ大変なものであったから、そういう意味では「解脱に至る難しさ」は、これまでと変わらないのであった。

 本覚思想は、ここから更にもう一歩踏みこんでいる。人々のありのままの姿・修行も何もしていない自然なその姿、そして身の回りにある全てのものが、実は悟りの一種の表れなのである――凡人では手が届かないと思われていた悟りの世界、これが身近にあるのだ、とする思想は世界が輝いて見えるもので、密教以上に現世を肯定する考え方であるといえる。

 日本における大乗仏教のリーダー的存在である天台宗は、本質的に現実を肯定する教えではあった。そういう意味では、本覚思想の教えの核心となる種は、そもそも天台宗に内包されていたといえる。

 例えば、最初期の大乗仏教の経典である「維摩経」には「煩悩即菩薩・生死即涅槃」という言葉がある。これは「人間の生滅を離れて涅槃なく,涅槃を離れた生滅というものもない。煩悩を持つ人と、悟りを開いた仏は相対立するものではなく,同一の世界に在る」ことを意味する言葉である。要するに「本質的に人と仏はそう離れた存在ではない。だから修行によってそこに至れるのだ」という考え方である。

 しかし、これが「堕落に通じる考え方である」として最澄と激しく論争した人がいる。過去の記事でも紹介した、かの法相宗の徳一である。

 

徳一VS最澄の論争については、こちらを参照。なお途中から、激しい罵倒合戦になった模様。

 

 徳一はこの考え方を推し進めると、修行の必要性がなくなってしまうではないか?と鋭い指摘をしてみせたのである。そして事実、天台本覚思想はある意味、徳一の予見した通りの展開を見せるのだ。

 例えば、本覚思想では先に挙げた「煩悩即菩薩・生死即涅槃」をこう言い換えている――「煩悩即煩悩、菩薩即菩薩」。これはつまり「煩悩も菩薩も、そのままでいい。共に価値は等しいのだから」と言っているのである。この考え方を更に進めると、現実から目を背け、悟りすました仏は「仮の仏」であり、凡夫そのままの姿こそが「真の仏」である、ということになる。

 京に臨む叡山が繁栄するためには、権力と分かち難く結びつく必要があったから、僧の世俗化が進んでいた。先達が定めた厳しい戒律などは名目上のものとなり、妻帯するのも当たり前となっていた。でもそれでいいのだ。本覚思想によると、人は既に悟っているわけだから厳しい修行に挑む必要などない。

 逆に修行して悟りを求める姿――戒律を守ることは低次元な方法である、ということになり、修行の全否定にさえつながってしまう。この考え方の落ち着く先が、前シリーズで紹介した「末法灯明記」である。これは修行しない自堕落な僧の、開き直りに近い論理なのであった。

 

末法灯明記」に関しては、こちらの記事を参照。その論理的な着地点には驚愕する。どうしてそうなるのか・・・ウルトラCレベルである。

 

 さて本覚思想によると「この世界こそが悟りの世界」であるわけだ。こことは別に浄土があるわけではない。「現世こそが悟りの世界。これぞ究極のメニュー」とするならば、「あの世における成仏こそ、至高のメニュー」とする浄土思想とは、相容れないことになる。教理上のこの矛盾を、どう解決すべきか?

 相反するこの2つの思想の融合を図った人がいる。その人こそ、前シリーズで紹介した根来寺開祖・覚鑁なのである。彼は「浄土思想の阿弥陀仏と、密教大日如来は同じものである」とした。ここから更に「浄土とは、つまりこの世のこと。究極のメニューも至高のメニューも同じもの」としたのである。

 覚鑁天台宗ではなく真言宗を奉じる僧だが、彼の唱えたこの「密厳浄土」の教えもまた、本覚思想を土台としたものだということが分かる。

 彼はあくまでも、本覚思想の影響を受けた密教を奉じる立場を崩さなかった。本覚+密教思想の立場から、それとは相反する方向性にある浄土思想を解釈しなおし、思想の融合を図ったわけだ。そんなことをしたのは旧仏教サイドでは覚鑁ただひとりであり、そこに彼の偉大さがあるのである。

 では天台本覚思想の本家である叡山においては、教理上のこの矛盾をどう処理していたのだろうか?

 叡山においては、「本覚思想的な浄土思想」とでもいうべき状態の考えに至っているようだ。これは現生の悟りと来世の往生が重層的に説かれる、というもので、矛盾しながらも2つの教義が一体化しているというものである。

 何となく、はっきりと踏み込んだ答えを出せずに、問題の核心の周辺をぐるぐる回っているような印象を受ける。そうした緊張感を持った構造を、叡山においては最後まで解消することができなかったようだ――そうした矛盾を内包していたからこそ、叡山から浄土宗の法然が生まれた、ともいえるのだが。(続く)

 

聖衆来迎寺所蔵「恵心源信像」。浄土思想の教義を確立した天台僧・源信。学僧としての名は高かった彼であるが、彼の浄土思想の教義は天台教義を否定する思想を内包していたためか、出世せずに隠者的扱いで一生を終えている。なお叡山においては本覚思想の開祖も源信である、ということになっているが、これは事実ではない。こうした高名な僧たちの名を仮託して、様々な書が著されるケースが案外多いのだ。これは何故かというと、例えばある僧が自分の学説を主張する際、自説の裏付けとなる書の著者を源信である、ということにすれば権威づけになるからである。これを「偽撰文献」と呼ぶ。この記事でも名前が出た、堕落僧の自己弁護の書である「末法灯明記」は最澄自身が著した書である、ということになっているが、これは偽撰文献なのは間違いないようだ。また過去の記事で触れた、称名念仏の地位向上を理論化した書「観心略要集」も源信作ということになっているが、研究が進んだ結果、これも院政期ころに書かれた偽撰文献であることが判明している(作者は不詳)。では実際のところ、天台本覚思想を発展させた第一人者は誰かというと、安然という名の僧なのである。仏教学者の末木文美士氏によると、安然は円仁の直弟子であり、台密教義の確立に尽力した人なのだが、同時に本覚思想をも発展させ「草木国土悉皆成仏」説を完成させた人、とのことである。彼は平安中期に生きた人(没年は915年頃)であるから、本覚思想そのものの成立は案外早いのだ。そこから長い時間をかけて叡山、そして他の宗派にも浸透していくのである。