根来戦記の世界

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本願寺を強大化させたカリスマ・蓮如~その⑧ 蓮如の窮地を救った、「桶作りのオッサン」の正体とは

 1465年1月10日、叡山の指揮する暴徒たちに襲撃された本願寺蓮如たちは迂闊にも全く油断しており、暴徒たちの門内への侵入をあっけなく許してしまったのであった。

 ――なぜこんなに状況が細かく分かっているのかというと、この「寛正の法難」については、堅田本福寺に伝わる「本福寺跡書」などの文書類に、詳細が記されているからなのである。

 中世史学者の清水克行氏が「室町は今日もハードボイルド 」という傑作歴史エッセイ集を著している。氏はこれらの文書類を元に事件の詳細を紹介しており、今回の記事はこの内容に拠るところ大なのである。清水氏の著作を一部引用する形で、どうなったか見てみよう。

 境内に侵入した暴徒たちは、「蓮如はどこだ!」と探し回る。当時は顔写真なぞ出回っていないから、僧形のそれらしい人間を捕まるしかない。早速「捕まえたぞ!」という声があがる。しかし捕まったのは、正珍という名の別の僧侶であった。しかし蓮如の長男・順如が逃げ切れず、捕まってしまう。

 その間、蓮如はどうも暴徒たちが乱入してきたときに一緒にいた桶の尉(いおけのじょう)たちに、境内のどこかに匿われていたようだ。実はこの桶職人、蓮如の身を守るために堅田から馳せ参じてきた武闘派信徒だったのである。しかも彼はそんじょそこらの武闘派ではなかった。堅田においては「相撲の行司」「スッパの手柄師」とも称されるほどの、大悪党だったのである。

 まず「相撲の行司」であるが、この時代における行司は単なる審判役を指すのではない。当時の相撲は賭け事を伴う興行であったから、参加する奴らもヤクザものたちばかり。しかも当時の相撲のルールは、今と違ってより過激なものであったようだから、高確率でトラブルが発生するイベントなのである。こんな面倒な試合を審判するには、同時にこうした輩どもに文句を言わせないほど実力のある、興行主でなければ成立しないのである。

 

「洛中洛外図」より辻相撲の様子。赤い服を着ているのが行司で、彼が興行主でもあるのだろう。確かにこれを見る限り、土俵の存在は確認できない。清水克行氏の別の著作によると、中世は特に村相撲が盛んであったようだ。観客は1000人を越え、夕方から始まって終わるのは朝方というケースも見られたという。土俵がないということは、土がついてようやく勝敗がつくわけだから、取組みが長くなるのだ。現代のモンゴル相撲がそれに近い試合形式であるが、取組みは30分にも及ぶこともあるという。また現代の国技館では、名勝負の後には座布団が飛び交うのが常であるが、中世の相撲では飛んでくるのは石なのである。飛び入り参加もOKで、喧嘩も珍しくなく、関係者が足や頭を切る大ケガをしたなどの記録も残っている。このように相当な実力者でなければ、とても仕切れないシロモノであった。

 

 また「スッパの手柄師」ともあるが、スッパとは盗賊のことである。盗賊団の中でもひときわの腕利き、とでもいう意味であろうか。要するに彼は、堅田の裏の社会に生きる、マフィアの大物だったのである。更には戦場での経験もあったとのことで、とにかく彼の悪名は京にも鳴り響いていたようだ。

 少しここで説明を要するのであるが、このように侍も顔負けの武勇と胆力を持つ悪党ども、こうした人々には浄土宗ないし浄土真宗の信徒が多かった。これは何故かというと「悪人正機」という考え方に基づくのだ。

 「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という法然の教えは、生きるために悪事に励む彼らのような人をこそ救う、という宣言であったから、悪党どもが数多く帰依していたという次第である。またこのような人間が、この時代にはゴロゴロいたのであった。

 そして彼ら裏社会の住人たちは、ちゃんとした生業を別に持っているのが常なのである。21世紀に生きる我々には想像しづらいのであるが、こうした事例は古今東西、つい最近まで珍しくなかった。話がいきなり飛ぶが、例えば20世紀初頭のアメリカ・シカゴで、賭け事や密造酒などを仕切っていたシカゴギャングの元締め、ダイオン・オバニオンは通りで花屋を経営しており、普通に店頭にも出ていたという(彼はまさしくその店頭で、客を装ったアル・カポネの手下3人に射殺されているのだが)。

 話を戻そう――蓮如たちはひとまず身を隠したはいいものの、境内は大混乱。なにしろ略奪目的の暴徒たちが大量に集まっているのである。報せを聞いて、近隣の本願寺門徒たちが助けに駆けつけてくる。それぞれ武装しているが、数ではとても敵わない。暴徒たちは門徒たちの煌びやかな武装に目をつけて、舌なめずりをしつつ、「ゲジゲジのような隊列を組んで」襲いかかろうとする始末。絶体絶命である。

 ここで桶の尉は、まさかの裏切りを行う。 蓮如を引っ立てつつ、隠れていた場所から出てきて「ここにいたぞ!捕まえたぞ!」と大声を上げたのである。集まっていた暴徒たちも、その多くは半グレどもだったから、悪名高い桶の尉の顔は知っていた。仲間が捕まえたと思って大喜び、「それ引っ立てろ」とばかりに門を通してしまう。

 門を通った瞬間、桶の尉は蓮如を仲間の元へ逃がしてしまう。裏切りは偽装だったのである。桶の尉のとっさの機転で、蓮如は辛くも脱出に成功するのであった。

 さてここからが、見せどころである――無事に蓮如が逃げたのを見届けたこの桶屋のオッサンは、暴徒の前に立ちふさがり、大音声で大見えを切ってみせたのである。

 「都のヤツら!(蓮如に)ちょっとでも無礼な真似をしてみやがれ!どいつもこいつも、あの世に送ってくれるわ!これから(部下を率いて)松明を持って京の町に躍り込み、(貴様らの)家々に火をかけてやるぞ!大混乱の中、戦い抜いて最後は切腹してくれるわ!!」

 暴力沙汰には慣れているはずの半グレ達ではあったが、流石にこの迫力には凍り付いた。彼の恐ろしさはよく知っている。やると言ったら本当にやる男なのだ。しょせんは略奪目的で参加しただけなので、そこまで肝が据わっているわけでもない。怯んだ彼らに対して、桶の尉は更に大音声で叱りつける。

 「どうした、かかってこい!向かってくる奴は5人だろうと10人だろうと、踏み倒して槍先にかけてやるぞ!!」

 これで勝負は決まった。彼の胆力に暴徒たちは屈して、蓮如を追うのを諦めたのであった。この桶屋のオッサンがいなかったら、蓮如は殺されていたかもしれない。まさしく間一髪のところだったのである。(続く)

 

清水克行氏による、歴史傑作エッセイ集。当ブログを訪れるような人ならば、最高に面白いと感じるに決まっているので、是非読んでみてほしい。室町期に発生した事件や人物について取り上げているのだが、対象への目線と切り取り方が絶妙で、同じ素材でもここまで面白く書けるものかと感心するのである。それにしても、室町時代の人の思考回路は現代人とは全く異なり、同じ日本人とは思えないほどである。まるで別の国についての話を読んでいるかのようだ。