根来戦記の世界

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中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その⑯ 曹洞宗・道元 ただひたすらに座禅する「只管打座」

 禅系統の鎌倉仏教としては、前記事で紹介した栄西臨済宗の他に、道元の興した曹洞宗がある。臨済宗との違いは何なのであろうか?

 今回の記事は内容はなかなかに難しいので、書いているブログ主も自分の解釈が正しいかどうか、若干自信がない。致命的な間違いがあったら、コメント欄でご教示いただきたい。まずは道元の生い立ちから見てみよう。

 親ガチャ的には、道元はかなり恵まれている。内大臣であった久我通親の子(ないしは孫)として1200年に生まれており、幼少から英邁であったようだ。わずか13歳にして仏道を志す。両親が早逝してしまったことが関係しているようだが、詳しいことは分かっていない。その翌年に叡山にて出家するのだが、当時の延暦寺は悪い意味で本覚思想が蔓延しており、そうした通俗的な雰囲気に馴染めなかったようで、山を下りて栄西が新たに興した建仁寺へ向かうのである。

 どうもそこで晩年の栄西と会っているようだ。次の年には栄西は遷化してしまったので、直接教えを受けたわけではなさそうだが、栄西の直弟子である明全に師事している。つまり道元栄西の孫弟子にあたるのだ。

 戒に厳しい臨済宗の教えは、道元の気性にマッチしたようだ。1223年、更に禅の道を究めようと師と共に中国へと渡るが、渡航して2年後に明全は中国で客死してしまうのだ。その代わり、道元浙江省・天童寺にて如浄という新たな師に巡り会ったのである。

 そこで彼が学んだのは、系統としては禅宗のひとつ「曹洞宗」に当たるのだが、無批判にそれを受け入れたわけではない。道元自身が独自に考えた部分を加え、新たな禅味を打ち立てている。以下、中国禅の基本思想の概要と、道元のオリジナリル部分を整理して紹介してみよう。

 まず禅の基本となる言葉に「即身是仏(そくしんぜぶつ)」というものがある。これは「ありのままの心が、そのまま仏である」という意味である。禅の思想として、「世界は本質的に正常で完成されている」と考える。しかし人は妄念で曇っているから、それが分からないだけなのだ。人の本性は仏であると気づくことが大事で、この気づきの達成こそが「悟り」なのである。つまり悟りとは「完成された自分」を取り戻す、ということである。

 以上が中国で発達した、スタンダードな禅宗の教えである。しかしここから先は、宗派によって若干異なってくるのだ。まず栄西臨済宗から。

 どのように悟りへの道を実践すべきか。臨済宗では師から弟子へと悟りの伝達が行われ、これを法嗣(ほうし・はっす)という。なので悟りに至るには、師から弟子へ指導が行われるのであるが、その指導方法が特殊なのである。

 臨済宗では、悟りへと至る道すじは、例えば登山するように着実に歩みを進めることでは、たどり着けないと考える。悟るためには、一気にポンと飛躍する必要があるのだ。飛躍するためには何が必要か?そこに至る方法論として臨済宗が好んだのが、先の記事で少し触れた「公案」なのである。公案には論理的思考は通用しない。答えに至る過程が大事で、論理的思考から外れた発想が求められる。

 公案を与えられた弟子たちは「座禅」しつつ考えを巡らせ、苦しみ悩んだ挙句に何らかの答えをひねり出すのである。こうしたやりとりは傍から見ると一見、訳の分からない問いに対して、突飛な答えを出しているように思えるのだが、こうしたトレーニングを何回も積むことで、悟るためのジャンプ力を鍛えられるわけである。こういうことを繰り返し、何度目かに与えられた公案を通じて、遂に悟りに至るわけである(・・・と、ブログ主は理解したのだが、どうだろうか?)。

 臨済宗のこうした教えに対して、曹洞宗はどう考えたか。悟りに至る方法として、大事なのは「座禅」であると考えるのは同じであるが、それに留まらず「日常の全てが修業である」と考えるのだ。寝ることや食べること、人が生活していくうえで必要とされる、生産活動すべてが仏道修業なのである。

 中国留学中に道元が経験した有名なエピソードとして「典座教訓」というものがある。道元が寺の典座僧(食事係)と話していたところ、話が大変盛り上がったので、「今日はここに泊まっていきませんか」と誘ったところ、「食事の準備があるから」と断られてしまう。道元が「そんなことは他の人に任せればいいのでは」といったところ、「お前は修業というものを、何もわかっていない」と諭された、というものである。

 このように「生活そのものが修業」と考えるのが、曹洞宗の教えなのである。しかしそもそも、インド伝来の本来の仏教では、僧侶は世捨て人であって生産活動を行うことを禁止されていたはずなのだ。つまり曹洞宗この考え方は、古来からの仏教の戒律に反するものであり、教義上の大きな改革運動であったといえる。

 日常生活が修業なのはいいが、では何が正解なのであろう?生活のモデルをどこに置くべきなのだろうか?これに関する重要な言葉に「以心伝心」がある。現代の日本人誰もが知っているこの四字熟語であるが、元は禅宗から来ている言葉で、本来は「経典や文字に依らずに、悟りを伝える」という、師弟間の教えの伝達を表す言葉なのである。要するに信頼できる禅師と共に寝起きし、座禅を中心に据えた生活スタイルを学ぶことによって、悟りを開くわけである。

 そしてここからが道元のオリジナル部分になる――道元がここに更に加えたのが「只管打座(しかんだざ)」という考え方である。これは読んで字の如し「ただひたすらに座禅する」というものである。座禅そのものは他の禅宗でも共通して行っているわけだが、道元の座禅は他のものと具体的にどう違うのであろうか?石井清純氏の著作「構築された仏教思想――道元」に書かれている例えが、大変分かりやすかったので、これを要約する形で紹介してみよう。

 先に紹介した通り、禅宗でいうところの悟りとは、「完成された世界」に気づくことで「完成された自己」を取り戻すことである。「完成された自己」というものを「人が暮らすのに、十分家具がそろった部屋」に例えてみよう。すると悟るということは、「家具がそろった暗い部屋に、灯りのスイッチを入れる」ことになる。真っ暗なままでは使用できないが、そこに灯りをつけることにより、初めて家具という存在を認識することができ、以降は部屋として機能することができるわけである。

 しかし道元はこう考えた――「灯りのスイッチを入れた後も、努力しなければ、照明はすぐに消えてしまう」。つまり部屋の灯りを付けたままにするには、人力で頑張って照明のモーターを回し続ける必要がある、ということである。このモーターを回す行為こそ修業であり、それこそが「只管打座」つまりはひたすらに座禅することである、としたのである。

 悟りを暫定的な状態と見なし、これを絶対視してはいけない。高いレベルを保ったままにするには、努力しなければならない、というわけである。悟りをただひとつの「点」ではなく、連続する「線」で捉えたともいえる。悟るために座禅する。そしてその状態を維持するため、引き続き座禅を続ける。道元のこの考えだと、死ぬまで修業は続くことになるわけだ。

 しかし道元は何故、こうした考えに至ったのであろうか?それはおそらく道元が大陸で目にした、ある現象が理由だと思われるのである。(続く)

 

長時間座禅していると、脳内のセロトニンが増加するという研究があるらしい。座禅に限らず、荒行などの宗教的体験が脳内麻薬を生成するならば、悟りとは生化学的な体験ではあるまいか。そうだとするならば、外部からLSDなどを摂取することによって、手軽に悟りが成し遂げられるのでは?イェイ!ピース!という考え方が60年代のアメリカで流行した。これがいわゆるヒッピーたちのドラッグカルチャーである。彼らはLSDを「インスタント禅」と呼んで、手軽に悟りを追体験しようとしたのだ。小説「すばらしい新世界」で有名な、アメリカの神秘主義作家オルダス・ハクスリーは、自らメスカリンやLSDなどの幻覚剤を服用し、著書でこう述べている――「人間は宇宙のどこかで起こったことを、本来かなり知覚することができる。しかしその膨大な情報量をそのまま受け取ると、日常生活に支障が起きてしまう。そこで有益な情報のみを選り抜く『バルブ』の役割を担っているのが、人の脳や神経なのである。しかしその『バルブ』機能を低下させる方法がある。LSDなどの薬物で、脳細胞へグルコースを供給する酵素の生産を抑制させ、『バルブ』の働きを低下させるのだ。すると今まで知覚できなかった様々な情報、これがいわゆる幻覚として見えるようになるのだ」。文中の「薬物」という単語を「座禅」に置き換えてみよう。彼らの文化が、禅に相当インスパイアされていることがわかる。なお薬物摂取の結果、悟りどころか錯乱して死亡する事故が続出した模様。また他の麻薬ほどではないが、LSDにもある程度、依存症状もあるようだ。ブログ主の友人に、若いころたまにLSDをしていた友人がいる。因果関係があるかどうかわからないが、彼はうつ病を発症してしまっている。

上記の神秘主義の作家・ハクスリーの代表作「すばらしい新世界」。ユートピアとは真逆の近未来を描いた、ディストピア小説である。20世紀を代表するディストピア小説といえば、ジョージ・オーウェルの「一九八四年」だ。「一九八四年」で描かれる恐ろしい社会は、あり得たかもしれない並行世界の、もうひとつの地球の姿である。窒息しそうな閉塞感のある全体主義?いやいや、そんな生易しいものではない。人の思考の形のみならず、言語・歴史そのものが絶え間なく改変され続ける、絶望しかない社会なのである。ブログ主は学生時代にこの本を読んで心底恐怖したのだが、憑かれたようにページをめくる手を止めることができなかったのを覚えている。一方、ハクスリーの書いた「すばらしい新世界」は、その対極にあるディストピア小説といえる。「一九八四年」に比べると、とてもやさしい社会なのだ。ではあるが、双方に共通するのは「人々が体制に対して、一切の疑問を持たない」、ないしは「その途上にある」社会ということにある。「一九八四年」のほうがまだ未到達でその途上にあるのだが、「すばらしい新世界」の方は既にそこに到達してしまっている。反対意見がゼロに等しいから、もはや脅威ですらなく、逆に保護に値するほど貴重になるので、結果とてもやさしい社会に見えるだけなのである。「一九八四年」の絶望的な社会も、更に時代が進んで洗練されていくと「すばらしい新世界」のような社会になるのかもしれない――ただし「一九八四年」の文末の解説文を読めばわかるが(とても読みごたえのある解説文である)、作中で描かれている社会体制は、いずれ打倒されることが暗示されているのだが。